「違法性の意識」に関する供述(弁解)

ライブドア関係の報道を見ていると、被疑者の中で、問題となっている行為について、「違法という意識は持っていなかった」と供述している者がいるようです。
こういった「違法性の意識」が、刑事責任を考える上で、どのように位置づけられるかは、刑法を学んだ人であれば誰でも知っている大問題です。難しい議論は偉い先生方にお任せするとして、ここでは、刑事実務上、こういった供述(弁解)が、捜査の中で、どのように取り扱われて行くか、について、少し検討しておきたいと思います。
捜査の初期の段階で、被疑者が、「違法とは思わなかった」「違法とは意識していなかった」と供述するケースは、しばしば見られます。ただ、捜査の進展に伴って、そういった供述が次第に後退し、結局、消えてしまう、ということも、よく見られます。
その理由を考えてみると、捜査の中で「違法性の意識」を、それ自体を独立させ、抽象的に問題にしても意味はなく、そういった意識の前提となる個々の具体的事実について、綿密な取調べが行われることにより、そのような具体的事実に関する認識が認められれば、自ずと違法性の意識も認定されることになるし、被疑者側も認めざるを得なくなるのが通常だからではないかと思われます。
現在、問題となっているのは、証券取引法で、

第158条
何人も、有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引若しくは有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは有価証券店頭デリバティブ取引等のため、又は有価証券等の相場の変動を図る目的をもつて、風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をしてはならない。

とされているものですが、主たる犯罪構成要件要素は、ライブドアのケースに即して言えば、
1 「相場の変動を図る目的」(主観的要素)
2 「風説の流布」あるいは「偽計を用いること」(客観的要素)
の2点でしょう。
このうち、風説の流布、あるいは偽計を用いる、という行為は、それ自体、違法性が高い行為ですから、そういった行為を、それと認識しつつ行った、という場合に、それにもかかわらず違法性を認識していなかった、ということは、極めて考えにくいと言えると思います。
むしろ、この犯罪構成要件において、実務上、問題になりやすいのは、「相場の変動を図る目的」ではないかと思われます。「目的」ですから、通常の「故意」(一定の事実の認識・認容)よりは、より強い心情が予定されていると解されます。そこまでの目的はなかった、という供述は出やすいものですし、この犯罪が、なかなか立件、起訴まで至らない理由も、おそらく、その点に関する立証の難しさにあると私は見ています。しかし、それも、あくまで、目的の有無、という問題であり、違法性の意識の問題とは別個でしょう。
このように、「違法性の意識」の問題は、捜査の当初では、抽象的に持ち出されやすい傾向がありますが、捜査の進展につれて、個々の具体的事実に対する認識の有無や、目的犯であれば目的の有無、といったことが問題になって行き、違法性の意識自体を独立して問題にする、ということが次第になくなる、というのが、実務の通常の流れと言えるのではないかと思います。
その結果、公判でも、「違法性の意識がなかった」といったことを、被告人や弁護人が主張するということも、皆無とは言いませんが、実務上はほとんど見られないと言っても過言ではありません。やはり、主観面についての主張であれば、個々の犯罪構成要件要素に対する認識・認容がなかった、とか、目的が欠如していた、といった主張になるのが通常だと思います。