合理的な疑い

昨日のコメント欄で、宇都宮で発生した誤認逮捕、起訴、無罪論告のケースについて

今回の検察主張を一般化すれば、
(1)被疑者が進んで犯行を認め、供述も具体的
(2)事件の被害者が、被疑者を犯人だと証言
(3)事件に使われた物が被疑者から被疑者の占有物として押収された
ことがあっても、「合理的疑いを越えた」ことには全くならないという立証が行われたということになるしょう。上記一般化は少々粗いですが、これほどまでに「証拠」が揃っていても「合理的疑いを越えた」とは言えない実例があるということは、全ての検察官のみならず、むしろ特に裁判官が肝に強く銘じていただきたいものです。

といったコメントがあった。
上記のコメントは、コメントされた方も認めているように、やや結論を急ぎすぎている面があるが、何が「合理的な疑い」かというのは、非常に難しい問題である。
証拠を総合した場合に、合理的な疑いが残れば無罪であるが、逆に言えば、そこまでに至らない疑いがあっても有罪にできる、ということであるから、合理性の内容が大きな問題になる。
この点について、私の曖昧な記憶によると、ドイツでは、同じことを、「確実性に接着する蓋然性」という表現をする人もいるようである。私は、「合理性」という表現よりも、こちらの表現のほうがわかりやすいと思う。
昔、実務修習(民事裁判修習)中に、ある裁判官が、病気の後、復帰したばかりで、事件数が抑えられていたのか、裁判官室に1人で座っていることが多く、私も、検察官志望を表明していて民事裁判修習はほどほどにやっていれば良いと思われていたのか、法廷に行かず、その裁判官と裁判官室で話をすることが多かった。
気さくで親切な方で、民事より刑事に興味を持っていろいろと幼稚な質問をしてくる修習生(大学を卒業してまだ1年程度の未熟者)に、辛抱強く付き合っていただいた記憶がある。
いろいろと話す中で、「何が合理的な疑いを超える証明か」が話題になったことがあって、その裁判官は、「山の中に何本か木があって、等間隔で並んでいるとする。自然に生えた木であれば等間隔で並んでいるということは考えられない。確かに、偶然ということも絶対にありえないわけではないが、そういうことは、まず考えられなくて、人が意図的に植えたものと認めてよい。合理的な疑いを超える証明というのは、そういうことではないか。」と言われていた。非常にわかりやすかったので、今でも覚えている。
ただ、現実の事件は、こういったわかりやすい事例ばかりではないし、何が合理的な疑いであり、どこまで証明されていれば合理的な疑いを超えているのか、ということについては、特に、人の処罰という重大な問題に関わる刑事実務家は、実務に就いた時から、おそらく実務を離れるまで、ずっと悩み続けることになる。
今回、問題になっている宇都宮の事件に関する報道に接していて思うのは、「似ている」といった程度の犯人識別供述で有罪認定をしてしまう危険性(こういった危険性については、古くから繰り返し指摘されてきている)、一旦、犯人であると決めつけられ、被疑者が認めて(認めさせられて)しまうと、やってもいない犯罪について、なぜか「具体的な」自白が積み重ねられて行くという取調べの構造的欠陥、ということである。
合理的な疑い、という観点から見ると、世の中には、似ている人間はいくらでもいるのであるから、「似ている」という程度の犯人識別供述で、合理的な疑いを超える証明があったとは認められない、という方向に振れる必要があると思うし、自白については、やはり、取調べ経過も十分踏まえた上で見て行かないと、合理的な疑いを超える証明力があるという評価はできない、という方向に振れる必要があるのではないかと強く感じる。
そういう観点から見ると、冒頭で紹介したコメントは、なかなか鋭い点を突いている面がある。
改めて強く感じるのは、取調べ経過が客観的に記録されていないと、後日、検証しようとしてもできなくなってしまう(今回の一連の報道を見ていても、捜査機関は、誤認逮捕、起訴という大失態を犯していながら取調べが適正であったと強弁しており、それを客観的に検証する術がない)ということである。やはり、取調べ状況の録画、録音ということを、今後は避けて通ることはできないのではないか、という感を改めて深くしているところである。

被告「やったと言われた」/誤認逮捕公判
http://mytown.asahi.com/tochigi/news02.asp?kiji=4552
“無実の証明”に『うれしい』 誤認逮捕起訴で検察が無罪論告
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tcg/20050226/lcl_____tcg_____000.shtml
県警誤認逮捕:県警「不当誘導ない」 被害者に直接謝罪−−地検、無罪求刑 /栃木
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tochigi/news/20050226ddlk09040095000c.html
誤認逮捕起訴問題 男性側と捜査機関対立 県警は『違法捜査』否定
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tcg/20050224/lcl_____tcg_____000.shtml
強盗罪 異例の無罪論告 地検「犯行関与せず」
http://www.shimotsuke.co.jp/hensyu/news/050226/news_14.html
社説:袴田事件 取り調べ可視化の教訓に
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20040828#1093658381