「大和」艦橋から見たレイテ海戦 栗田艦隊は決して逃げていない!

 

著者は、2018年に惜しくも逝去されましたが、2017年に、靖国神社であるイベントがあり、その際、間近でお姿を拝見したことがあります。かくしゃくとしていて、いかにも旧帝国海軍軍人という感じでした。
レイテ沖海戦で、栗田艦隊がレイテ湾に突入しなかったことは、「謎の反転」として、戦後長く批判されてきました。しかし、著者は通信士として大和艦橋にいた経験も踏まえ、やむを得ない措置だったとします。
読んで感じたのは、今とは比べ物にならない通信環境の悪さと、その中で、暗中模索的に敵状を探りながら作戦行動を刻一刻と決めざるを得ない指揮の難しさでした。栗田艦隊批判は、戦後、当時の全容が詳らかになった上での後付けの議論ですが、そういう情報を持たずに何ができたか、すべきであったかという視点がないと、単なる結果論、評論でしかないでしょう。
その意味で、本書は、当時の栗田艦隊、栗田提督の視点に立った上での戦史として意義あるものだと思います。
別の本では、上記の反転について、栗田艦隊内の関係者で批判する者はなく、かえって、無駄死にせずに済んだという肯定的な評価だったとあったのが思い出されます。突入すればレイテ湾は無防備でガラ空きだったという反転批判には、本書でも指摘されている、航空支援が期待できない栗田艦隊に対し、圧倒的な米航空戦力による攻撃が十分にあり得たという視点が欠落していると言えるように思います。
ただ、小沢艦隊が囮となりハルゼーの機動部隊を北に釣り上げ、栗田艦隊にはレイテ湾突入のチャンスが生まれてはいました。帝国海軍の最期を迎え、無謀な沖縄特攻で自滅するくらいなら、大和をレイテ湾に突入させて米輸送船団に大打撃を与えられなかったのかということは、大和が多くの人々の心の中で生き続けるとともに、今後も言われ続けることでしょう。