【ヒロシマの空白】75年前、焼け跡で捜し歩いた婚約者 手帳取得への高い壁

【ヒロシマの空白】75年前、焼け跡で捜し歩いた婚約者 手帳取得への高い壁(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

被爆者」とは、行政上は被爆者健康手帳が交付された人を指す。しかし、手帳を取得したくてもできない人、あえて持ってこなかった人がいる。それぞれに理由があり、苦しみを抱えて生きてきた。焼け跡で婚約者を捜した女性は、数年前にやっと手帳を手にした。原爆が落とされた後に降った「黒い雨」を浴びながら、線引きのわずか数十メートル外にいたため、国の援護策からはずされたままの人もいる。

私の父方の祖父、母方の祖父は、共に広島市内で被爆し、母方の祖父は昭和21年4月に、父方の祖父は昭和25年頃に亡くなりました。当然、被爆者手帳はもらえていませんし(そういうものがまだなかった)、言葉は悪いですが、野垂れ死にのようなものです。

親戚には、被爆していて被爆者手帳を申請すればもらえるのに、娘の縁談に差し支えてはいけないと、敢えてもらわなかった遠縁のおばさんもいましたが、先年、もらわないまま亡くなりました。 

アメリカは、広島市民をモルモット代わりにして原爆の実験をしたのでしょうが、被爆者手帳を交付する趣旨は、モルモットがどういう因果関係で健康を損ねたのか、実験ごっこをするためではなく、被爆者を保護し支援するためのものですから、合理的な理由、根拠を伴って「被爆者」と認定すべき人に対しては認定を行なって保護、支援すべきものだと、私は、広島で戦後の辛い日々を送ってきた人々、保護、支援を受ける余地もなく祖父らのように亡くなった人々のことを思いつつ、強く感じるものがあります。

戦後の日本は、国民の努力もあり、大きく繁栄し大国となりました。しかし、その陰で、戦後の繁栄した豊かな日本を見ることなく死んでいった人々がいることを、心ある日本人は、一分一秒たりとも忘れてはなりません。忘れないだけでなく、せめて生き残った人々に対して、国はできる限りのことをすべきだと改めて感じます。