核廃絶「必ずできる」=オバマ演説、追い風期待−64回目原爆の日・広島

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000023-jij-soci

秋葉忠利市長は平和宣言で、「核なき世界」を提唱するオバマ米大統領への支持を表明。核廃絶を目指し力を合わせようと英語で訴え、大統領に倣い「Yes,we can(必ずできます)」と呼び掛け、締めくくった。

私の父方の祖父は、当時、広島県立広島第二中学校の英語教師で、直接の被爆はしなかったようですが、原爆投下直後の広島に救援のため入り、おそらく二次被爆の影響で、戦後間もなく亡くなりました。同中学校は、

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/vit_ex/vit_ex4/4d.html

にあるように、原爆で壊滅しています。
また、母方の祖父は、広島逓信局で働いていたようですが、そこも、

http://www3.famille.ne.jp/~kodayo/genbaku/genbaku2/teisinkyoku.htm

にあるように、原爆により壊滅し、祖父がどのような状況で被爆したのか、祖母も既に亡くなっていて詳しいことはわかりませんが、原爆の影響で、やはり戦後間もなく亡くなっています。
私の父も母も、未成年時にそれぞれ父を亡くし、それぞれの家族も、一家の大黒柱を早くに失って、おそらく、原爆がなければ、父が、夫が生きて元気でいればと思いつつ、戦後を生きてきたはずです。こういった人々は、広島でも、長崎でも無数にいて、さらには原爆に限らず、肉親が戦陣に散り戦果に倒れたという人々は数限りなくいて、戦後、60年以上が過ぎても、惨禍、悲劇は風化しておらず、また、風化させてはいけない、と改めて思います。
ネットで検索して、原爆関係の記事をいくつか読んでみましたが、あの夏の暑い日に、突如としてすさまじい熱線、爆風を受け、あるいは二次放射能の被害にあい、やり残したことや肉親、知人を思いつつ無念の中で亡くなった多くの人々の思いに我々が応えるには何をすべきか、何をすべきでないかということを、今後もずっと考え続けて行かねばならないのでしょう。
冷徹な国際政治、軍事情勢の中、オバマ大統領の言葉で、簡単に核兵器が廃絶されるほど甘くはないことは、しがない弁護士にしか過ぎない私にもわかりますが、広島で生まれ育った者としては、核兵器廃絶など実現するはずがない、と簡単に片付けられないものを感じつつ、理想は高く持ち続けたい、オバマ大統領には期待したいという気がしています。