オウム真理教関連事件に直面した頃3

オウム真理教の中に、諜報省(国家の機関を真似た組織になっていた)という機関があり、既に死刑が執行された幹部信者が大臣を務めていたが、私が所属していた公安部では、諜報省関係の事件を手がけることが多かった。
起訴され有罪判決が出ているもので言うと、警察の運転免許試験場にデータを求めて侵入する、自衛隊幹部宅を盗聴する、宗教団体幹部宅を見張るために偽名を使って部屋を借りる等々の、それ自体としては凶悪、重大事件とは言えないものの、教団としての狙い、目的といったことが色濃く出てくるような事件が多かった。
どこまで現実性があったか、という問題はあり、荒唐無稽さはつきまとうものの、オウム真理教が、国家機関を真似た組織にしていたことにも現れているように、日本を支配するといったことを夢想していた面はあったのではないかと、振り返って感じるものがある。この種のカルト教団が、閉鎖性の中で暴走する危険性というものは、欧米では以前から実例があり、その危険性が指摘されていたが、それが現実のものとして国民の前に現れたのは、オウム真理教事件が初めてであった。教団の中には、化学者など優秀な頭脳が多数いて、サリンを作ったり、武器製造(ロシアのAK74、ただ、実際に製造したのは2、3丁程度)にあたったりと、人知れず、日に日に危険な存在へと発展し、それが現実のものとなったのが、松本サリン事件であり、地下鉄サリン事件であった。
信教の自由は最大限保障される必要があるものの、一旦、暴走し始めた際の危険性、国民の生命、身体、財産に害をなさないためにはどうすべきかということを考える上で、オウム真理教事件は多くの教訓を残したが、それらが生かされているかというと、十分に生かされているとは言えないのではないか、というのが現在の私の印象である。そこは、今後に残された大きな課題ではないかと思う。

その意味で、オウム真理教事件は、まだ終わってはいない。令和の時代になっても。
(続く)