オウム真理教関連事件に直面した頃2

私が、平成7年から平成8年当時に取り調べていたオウム真理教の信者はかなりの数にのぼるが、どちらかと言うと教団の中で末端に近いところにいる信者が多かった。それだけに、取調べはかなり困難なものがあった。
オウムの出家信者は、全財産をお布施して教団に入り、もはや教団外に戻るべき場所はない。情報は、教団内でしか得られず(幹部クラスになるとそうでもなくなるが)、教祖(グル)は絶対的な存在であり、無限の帰依(という言葉が使われていた)の対象であって、疑うこと自体許されない、ということを徹底的に刷り込まれていた。捜査機関は敵であり、敵の手に落ちれば地獄に落ちる、輪廻転生の中で下等な動物等にしか生まれ変われない、などと思い込んでいて、完全黙秘は当然で、なかなか具体的な供述は得にくい者が続出した。
こういった確信犯に、怒ったり怒鳴ったりしても前進はないので、私の場合、オウムに関する基礎知識を徹底的に集め、教義についても出来る限り分析した上、徐々に判明しつつあった、各種の凶悪な犯行へのオウム真理教の関与ということを具体的に説明しながら、説得に努めていた。
そうするうちに、元々が真面目な性格の者がほとんどであるだけに、重い口が徐々に開くようになり、徐々に具体的な供述も得られて供述調書作成に至る、という者も出てくるようになった。そう言ってしまえばそれまでであるが、取調べ官にかかる負担は多大なもので、非常に疲弊したことが今でも思い出される。
東京地検の中でも、刑事部のほうは捜査体制が公安部より大きく、地検内部の1室が仮眠室になっていて、そこに簡易ベッドが何台も置かれて、職員がそこで仮眠をとりながら仕事をしていた。今振り返っても、関係者が必死に捜査にあたっていた状況であり、よくやったものだと思う。
(続く)