’11裁判員:初の全面無罪を破棄 覚醒剤密輸「1審は事実誤認」 東京高裁実刑判決

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110331ddm041040064000c.html

被告は「土産物として缶を預かっただけで中身は知らなかった」と主張したが、小倉裁判長は渡航目的や缶の入手経緯に関する供述が変遷していることから「説明が通用しなくなる度にうその話を作っていたことになり、中身を知らなかったという弁解も信用し難い」と指摘した。
そのうえで被告が缶の中身を確かめなかったり、別の覚醒剤密輸事件で逮捕された知人が渡航費用を負担した点などを「中身を知っていたと認定する証拠になり得る」と判断。状況証拠を総合して有罪認定し、「利得のために社会に害毒を拡散することをいとわない態度は非難を免れない」と量刑の理由を述べた。

私自身は、元々、裁判員制度というものに懐疑的なので、裁判員制度を何だと思っているんだ!と、目くじら立てて怒る気持ちにもならないのですが、こういった事実認定に微妙さがあるケースで、実際に被告人や証人の話を直接聞き、裁判員と裁判官が検討して出した結果が、主として記録しか見ていない高裁により破棄され、無罪が有罪になるようでは、裁判員制度を何のためにやっているのかわからなくなるでしょう。マスコミは、市民の目線が裁判に反映される、などと裁判員制度を散々礼賛してきていますが、これでは、皆で集まって無駄な労力をかけ思い切り間違っているだけ、ということでしかなく、馬鹿らしさだけが残ります。
裁判員裁判における事実認定については、1審の判断を最終のものにして、被告人、弁護人からの控訴、上告について誤判救済の観点で職権発動ができるだけ、ということにしないと、今後も、上記の記事にあるようなケースが続出する可能性が高く、国費をかけ制度を維持する意味が見出し難いと思います。