『無罪』過半数でも全裁判官『有罪』なら? 『双方の意見必要』 条文解釈で混乱 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007071502032623.html

条文の趣旨は、有罪の評決をする場合は「有罪意見が過半数で、その中には裁判官と裁判員の双方が含まれることが必要」ということ。仮に一般の裁判員六人全員が有罪を主張しても、裁判官が一人も含まれないときは有罪は成立せず、無罪となる。
だが、裁判員制度に反対する高山俊吉弁護士らは、その逆のケースを示して別の解釈をする。
「仮に裁判員六人が無罪で、裁判官三人が有罪の場合、条文をそのまま読むと、無罪が過半数でも裁判官の意見が含まれないので、無罪にも有罪にもならずに評議は成立しない。だれかが意見を変えるまで評議を続けることになる」
法務省の担当者はこの解釈を真っ向から否定した上で、「当然、無罪になる」と説明する。
「六七条にある『評議の判断』とは、有罪か無罪かではなく、『検察官が有罪を証明できたかどうか』。裁判官三人が有罪意見でも過半数ではないのだから、犯罪の証明がないとして無罪となる」
法務省の主張は、裁判員法は刑事訴訟法の特別法であり、刑訴法にある「犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言い渡しをしなければならない」という規定は当然、裁判員裁判にも適用され、そのことを裁判員法にわざわざ明記する必要はないという理屈だ。

67条や、法務省サイトに出ている解説文も読んでみましたが、解釈としては、法務省が主張しているような内容に落ち着くとは思うものの、条文中にある「判断」が、何を指すのか、確かに、やや曖昧であり、反対論者の上記のような主張が出るのも無理からぬ面があるように思います。
実際の評議を行うのは、「法務省の担当者」ではないので、反対論者が主張するような解釈が、今後、絶対に採用されない、という保証は何もないでしょう。
裁判員で、「結局、何が何だか全然わからず、頭の中が真っ白なまま公判が終わってしまった」と口々に言って、そういう裁判員が5名いれば、被告人は無罪、ということになりますが、そもそも、それで刑事裁判として成立したと言えるか、という問題もあるでしょう。
弁護人の弁論テクニックとして、特に裁判員に対し、重罪に関する有罪という重大な決断を回避するように仕向けて、判断放棄型の無罪判断をするよう働きかける、といったことが行われる可能性もあるように思います。