私が検察庁から去った日

先週のメールマガジンで、検察庁時代が終わり、今週号から、特別編として、ヤフー入社初期編に入りますが、検察庁を去った当時の様子を抜粋して掲載しておきます。

こうして、退職の日を迎え、事務官から、バッジを返してください、と言われ、つけていたバッジを外し、渡したが、これを胸につけた時の晴れがましい気持ち、抱負、といったことが、短時間ではあったが思い出されて、何とも言えない寂しい思いがした。もう、後には戻れないんだな、ということを強く感じた。
それまでに、自室の片づけはほぼ終えていて、あとは、身の回りの小物を紙袋に入れて立ち去るだけ、という状態になっていた。一通り手続を終えた後、荷物をまとめ、立会事務官に別れを告げ、両手に紙袋を持って、千葉地検の建物の外に出た。他地検への異動や退職、といった場合には、職員が出てきて見送ってくれたり、花束をわたしてくれたりするものだが、私にはそのようなものは何もなく、人知れず立ち去ろうとしていた。立ち止まって、建物のほうを、確か振り返った記憶がある。見慣れた建物に、明日からはもう出勤することはないし、再び刑事司法の場で活躍する機会もないだろうと、その時は思い、涙こそ流さないものの、感傷的な気分になった。しかし、断ち切らなければ、と思い直し、紙袋を両手に持ち直し、千葉地検を去った。こうして、平成元年4月に任官した後、11年5か月の検事生活は終わった。

改めて読むと、寂しい最期ですが、人生というものはこういうものなのかもしれません。