裁判員制は人生を変えるか 「残虐写真の悪夢」と「地域への責任」

http://www.j-cast.com/tv/2009/05/15041178.html

フロリダの裁判所で、陪審員に選ばれた人たちに裁判長がいう最初の言葉は、「地域社会への奉仕と考えてください」だった。アメリカは、日本より小さな地域ごとに裁判所がある。

男性は「地域で起きたことは自分たちで裁く。それが地域への責任、人々を守ることになる。裁判のあと人生が変わった」という。

先週木曜日夜の、NHK「クローズアップ現代」に関する記事で、私も、録画しておいたものを後から見ましたが、紹介されていたアメリカの陪審制度を見て、日本とは国情も人々の意識も全然異なっているなと思いました。
アメリカの場合、元々、警察制度も地域の人々がお金を出し合って雇った保安官が担っていたり、裁判制度も職業裁判官ではない治安判事が担当していたりと、「自治」の歴史があり人々の意識も高いと思われるのに対して、日本では、そういった歴史や伝統が皆無で、そういう何の土壌もないところに、鉢植えの草花のように、裁判員制度のようなものを持ってきても、うまく行かない可能性のほうが高いのは自明のことではないかと思います。
制度がどうのこうのと言う前に、まず、そういった歴史、文化、国民の意識といったことを徹底的に分析し、国民が司法に参加する制度を設計するとしても、泳げない人をいきなりプールに投げ込んで泳がせるようなことはせず、まず、浮き輪をつけて水に浮いてみるとか、バタ足で数メートル泳いでみるとか、徐々に慣れて行けるような制度設計を行うべきであったように、今更ですが思っています。