知りたい!:西松建設献金事件、捜査大詰め 世論次第の「国策」批判

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090321dde001040030000c.html

さて、今回の違法献金事件で、民主党サイドが繰り出す「国策捜査」の大合唱。国民はどう判断するのか。

感想めいた話になりますが、東京地検特捜部の「成功体験」というのは、やはりロッキード事件ではないかと思いますね。田中角栄元首相ほどの実力者を、逮捕、勾留の上、起訴し、政治の圧力をはねかえして、高裁まで有罪、実刑を維持し、元首相の死後、最高裁でも、他の共犯者の裁判で、元首相の共犯性が認められ、我々は腐敗、不正と闘うヒーローなんだ、大多数の国民は必ず指示してくれるはずだ、というのが組織を支配する、共有されている感覚でしょう。そういったヒロイズム、強烈なエリート意識、それらが次第に歪んだものになってくる過程における驕り、裁判所、弁護士、政治家等々、様々な人々を見下し馬鹿にして臨んで行くことによる危険性といったことが、現在の国策捜査批判へとつながっているという側面も見逃せないでしょう。
しかし、自民党による一党独裁状態が終息し、政治改革もある程度進んで、昔のような「巨悪」はなかなかつかまらなくなり、特捜部の存在価値をどこで見出すかを模索する中で、ある時はライブドア事件のような事件をやってみて「市場の守護神」を気取ろうとしてみたり、今回のように野党第1党の党首の秘書を政治資金規正法違反で捕まえて政治資金の不透明な流れに切り込んで見せようとしたりと、あれこれやってはみても、昔のように、世論は腐敗、不正と闘うヒーローとは見てくれず、むしろ、立件の背景に不透明、不明朗なものを強く感じ、国策捜査批判といったことが広く語られるようになってしまいました。いくら、そんなことはやっていないと強弁しても、そもそも、国民に対して捜査の正当性をきちんと説明する姿勢すらない以上、不信感は募るばかりででしょう。
今後は、ブラックボックス化した、内偵、立件、強制捜査にあたっての令状請求といった過程に、例えばアメリカの大陪審制度のように国民が関与し、立件の意味なり価値、といったことについて、例えば、政治資金規正法違反のような陳腐な形式犯を、今、この時期にやる意味なり価値があるか、といったことを、単に役人が密室で決めるのではなく、国民が審査し決める、といった制度の採用が真剣に検討される必要があるでしょう。捜査の正当性といったことについて、単に、エリート検事が政治とは隔絶したところで厳正にやっているから、といった点に求めるのではなく、国民も関与しつつ、全面的には無理としてもある程度の透明性を確保することによって担保する必要があるように思います。
成功体験に酔いしれるうちに失敗し破滅する、といった人や組織は少なくありませんが、東京地検特捜部にとっては、ロッキード事件によるそれが、今や大きな足かせとなっているという見方が可能かもしれません。