ひめゆり隊の校章、64年歳月経て自決の浜辺で見つかる

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090223-OYT1T00089.htm?from=main2

荒崎海岸は1945年6月21日、学徒隊を構成していた県立第一高等女学校(一高女)の隊員7人、教頭1人ら10人が米軍に追いつめられて手榴(しゅりゅう)弾で集団自決した場所。将来ある女学生が命を失った悲劇を象徴する地として、同校同窓生らが「学徒隊散華(さんげ)の跡」と記した慰霊碑を建てた。

元隊員で資料館証言員の宮城喜久子さん(80)によると、隊員は自決を決めた直後、未練を断ち切るために家族の写真などを入れた救急カバンを捨てたという。宮城さんは集団自決した7人とともに米軍に追い込まれたが、7人とは別の岩陰に逃げ込んで助かった。「64年もたって見つかるなんて……。ひめゆりの誇りである校章だけは最後まで肌身離さず持っていた人がいたんですね」と語った。

沖縄戦において多数の非戦闘員が犠牲になったことを象徴するようで、万感胸に迫るものがありますね。証言員の方のコメントにあるように、肌身離さず持っていた校章が身体から離れた時が、その生徒の最期の時であったのではないかと思います。64年を経ましたが、こうして発見され、ひめゆり平和祈念資料館に展示されることは、

入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050610#1118332424

のような事態を防止し、戦争体験をきちんと継承し、世界と日本の平和のため日本や日本国民が為すべきことを考える上でも意義があることではないかと思います。