正義のかたち:裁判官の告白/5 2度の再審無罪

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080325ddm041040120000c.html

「財田川事件」の谷口繁義死刑囚が高松地裁で再審無罪判決を受けた84年3月の毎日新聞。再審前に死刑を言い渡した裁判長のコメントは「顧問」のものだった。
元町内会長は証言する。「あれから家に引きこもるようになってしまった。かわいそうなくらい落ち込んで……。がっくりきたんでしょう」。さらに約1年半後、「徳島ラジオ商事件」で、既に病死していた冨士茂子元服役囚が請求し、遺族らが引き継いでいた再審の無罪判決が確定。実刑判決を出した裁判長として、毎日新聞に再び名前が載った。
<死後であっても無罪判決が確定して良かった。おわびしたい気持ちはある>
その2年後、元裁判長は病死する。

昨日、東京地裁へ行く途中、乗ったタクシーの運転手と裁判員制度の話になり、短時間に、何が問題になっているかを簡潔に説明してあげたところ、その運転手も、「他人の人生を決める判断をしなければならないのは辛いですね」と述べていました。
私の場合、裁判官の経験はありませんが、検事として、全面否認の事件を起訴するかどうか悩んだことは数多くあり、この起訴の判断でやっていない人を、無実の人を起訴してしまったら取り返しがつかない、と、慎重を期し記録を何度も読み返したり、同じ問題点を繰り返し繰り返し検討したりしたことがよくありました。そういうときに、「確信」に至ったからこそ起訴、という判断には至っていましたが、一抹の不安、もしかしたら、という疑念を、完全に払拭できない場合もあり(「合理的な疑い」ではない、と言えばそうなのですが)、かなりのストレスを感じていたことが思い出されます。弁護士になると、そういった事実認定に関するぎりぎりの判断を迫られることがなくなり、その点では楽になりました。
裁判員に、そういったぎりぎりの判断を強いる、というのは、やはり酷なことではないかと思います。