http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012021490070715.html
同小法廷は一審について「裁判員制度の導入で、法廷での直接のやりとりを重視する審理が徹底された」と指摘。一審が事件を直接調べた後の二審は、一審と同じ立場で事件そのものを審理するのではないとしたうえで「一審の証拠の見方や総合判断が論理として成立しているか、一般常識とのずれがないかを審査すべきだ」と述べ、二審で事実認定のやり直しをしている現状を批判した。
判決は五人の裁判官の全員一致の意見。白木勇裁判官は補足意見で「裁判員制度では、裁判員のさまざまな視点や感覚が反映されるため、幅を持った事実認定や量刑が許されないと、制度が成り立たない」と述べた。
被告(61)が二〇〇九年十一月にチョコレート缶に入れた覚せい剤約一キログラムを、営利目的でマレーシアから持ち込もうとしたとして、覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)罪などで起訴された。
私は、退官直前に、千葉地検の刑事部で麻薬係をやっていて、この種の事件を何件も捜査、起訴した経験があります。その経験も踏まえて、最高裁の判決文を読んでみましたが、従来の捜査実務では、起訴する事案で、公判で争われても、裁判所が有罪にする事案であったのではないかと思います。被告人には「怪しさ」があり、従来は、そういった怪しさを、薬物密輸の故意に結びつけて有罪認定していたと言えるでしょう。逆転有罪とした東京高裁は、従来の実務の考え方に素直に従っていたのではないかと思います。
ただ、怪しさと、合理的な疑いを超えて有罪、ということは別物で、そこを、最高裁がこのような形で明言した上、控訴審における事実認定の在り方にまで言及した意味は大きいでしょう。確かに、今後の実務への影響は小さくないと思います。
ただ、裁判というものは、裁判員制度を成り立たせるために存在しているわけではありませんから、例えば、裁判員制度の下で有罪とされた事件が、高裁裁判官の心証では無罪であるものの、一審の証拠の見方や総合判断が論理としては一応成立していて、一般常識とのずれが明らかにあるとも言えないような場合にも介入すべきではないのか、高裁が死刑は重すぎると考えた場合はどうかなど、難しい問題は、やはり残っていると言えるでしょう。
最高裁が示した考え方がすべて、とするのではなく、これを基礎としつつ、さらに発展、進化させることが求められているのではないかと思います。
追記:
判例時報2145号9頁以下(最高裁第一小法廷平成24年2月13日判決)
判例時報2181号163頁以下(判例評論652号199頁以下・土本武司)