弁護士の成果に“光” 大阪弁護士会、会報に名前公表

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090207-00000573-san-soci

1月末に発行された会報で公表されたのは、昨年11月の1カ月間に検察官が罪を犯した疑いがない、あるいは十分でない−などとして不起訴にした窃盗や恐喝など12件の事件。いずれも弁護費用援助制度を利用した容疑者から、事件を受任した大阪弁護士会所属の弁護士12人の名前や罪名などのリストが掲載されている。

法務省によると、平成19年に検察庁が受理した事件の不起訴率は約60・4%。嫌疑が十分でも犯罪の軽重や情状などを考慮して起訴しない「起訴猶予」も含まれるため数値は高い。一方、同年の全国の地裁判決での無罪率はわずか約0.14%。いったん裁判になれば無罪判決を得るのは極めて難しく、「起訴されるかどうかが運命の分かれ道」とも言われる。

こういった試みに反対するわけではありませんが、検察官が不起訴処分にする場合の理由というのは様々であり、弁護活動が功を奏した場合もあれば、そうではない場合もあって、具体的な理由も明らかにする仕組みになっていない中で上記の記事にあるような公表が行われることで、正確とは言えない話が独り歩きしてしまう危険もあるでしょう。
昔、高裁で国選事件を担当した事件で、一審の弁護人が、かつて無罪をとったことがあると自信満々で、自分は元々事実を認めるつもりでいたのに、その先生の言う通りに思い切り否認したら実刑になってしまった、失敗した、という被告人に出会ったことがありましたが、私が見てもいかにも無理筋の否認で、信じた被告人を気の毒に思ったことがありました。高裁で、事実を認めできる限りの情状立証をしましたが、一審の弁護活動をリカバリーすることができず、結局、実刑判断は覆りませんでした。その事件で、もし、多少、自信なさげな弁護人であっても、認めるべきところは認めましょうね、という弁護活動を進めていれば、おそらく、その被告人は実刑にはならなかったでしょう。
無罪をとった、不起訴をとった、といった話に強い魅力を感じるというのは、無理からぬ面がありますが、現在の日本では、個々の弁護士の経歴や知識、経験、専門性といったことを、自己宣伝ではなく第三者がきちんと評価する、というシステムがまったく確立されておらず、そういう中で、不正確な話が独り歩きするようなことについては、慎重に臨む必要性を感じます。