息子の無実信じ直訴も、再審無罪・松山事件の母101歳で死去

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090201-00000010-yom-soci

1955年10月、農家が全焼し、焼け跡から一家4人の遺体が見つかった事件で、ヒデさんの次男幸夫さんは強盗殺人、放火容疑で逮捕され、60年に最高裁で死刑が確定した。
その後、79年に仙台地裁が再審開始を決定し、84年に無罪判決を宣告、確定した。
ヒデさんは、最高裁での死刑確定後に刑の執行が迫ったとみられると、植木庚子郎法相(当時)に「息子を生きたまま返して」と直訴。さらに15年以上にわたり、再審開始を求める署名活動を全国で続けた。

松山事件と言えば、最近は知らない人も多くなりましたが、4大死刑冤罪事件(他は免田事件、財田川事件、島田事件)の1つとして著名であり、再審無罪に至るまでの経緯には、多くの貴重な教訓が含まれています。検索して見ていたところ、

http://taroscafe.cocolog-nifty.com/taroscafe/2006/07/post_c27a.html

では、

青葉通りの藤崎のそばでタスキをかけ、何時間も街角にたって再審を訴えるヒデさんの姿はいまも鮮やかに思い出されます。

とあって、仙台では、息子を信じて街頭に立つ姿が今なお強く印象に残っている方々もいるようです。
法務大臣が、死刑執行を指揮する直前で、疑問を感じて思いとどまった事件がある、という話は、私も聞いたことがあり、上記の記事にあるような法務大臣にまで直訴するといった行動がなければ、再審無罪判決を得る前に、斎藤氏は刑場の露と消えたかもしれません。
刑事事件というものは、事件の大小に関わらず、いろいろな難しさを持つものですが、様々な難しさを常に自覚し、謙虚に、慎重に、かつ、思い切るべきところは思い切って取り組まなければならないということを、改めて強く感じます。
ご冥福をお祈りしたいと思います。先に逝った斎藤氏と何を語っているのでしょうか。