おしん、竹下、隆の里

2月21日の日本経済新聞夕刊1面「あすへの話題」で、石油資源開発副社長の渡辺修氏が、竹下首相秘書官であった1987年当時、訪問客が竹下首相に米国情報を話し、その内容が、既に首相が別の訪問客から聞いていた内容とほぼ同様であったため、早めに切り上げてもよろしかったのでは、と進言したところ、竹下首相が淡々と、

官邸に来る人は、皆、こんな情報はもう総理の耳に入っているのではないか、行くのを止めようかと迷いながら来るものなのだ。そこで自分がその話は聞いていると言ったら彼は二度と来なくなるだろう。だが彼は将来、自分の知らない貴重な情報を持って来てくれるかもしれない。自分にとって大事なのは彼が引き続き来てくれることなんだ。その為にどうすればいいか、自分が我慢して彼の話を聞けばいいんだよ

と語り、進言した自分の浅慮を恥じた、という体験談が紹介されていました。いかにも竹下元首相らしいエピソードであると感じ入りました。
上記のようなやり取りがあった1987年当時、渡辺氏が紹介しているように、「おしん、竹下、隆の里」という言葉がはやり、いずれも、努力を重ね大きな結果をつかむ、という存在でしたが、最近、地道に努力を重ね苦労がその人を鍛え人情の機微を知り尽くして、といった人がめっきり減ったような気がします。努力しなくても、テレビで人気者になったりすれば、お金が儲かり地位も得られておもしろおかしく暮らせる、といった状況では、人は徐々に努力、苦労を厭うようになり、社会全体が弱体化して行くように思われます。