「すべての犯人は被告人」木嶋佳苗被告に求刑へ

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120312-OYT1T00483.htm

検察側は、三つの殺人事件に直接証拠はないが、間接証拠だけで認定できると説明し、「夜明けに外を見ると一面の雪化粧。雪が降ったのを見ていなくても夜中に降ったことが分かる」との例を挙げた。「疑わしいだけの場合は、被告人に有利にならなければならない」と無罪を主張する弁護側の冒頭陳述に触れ、「誰かがトラックで雪をばらまいた可能性もあるが、そんな必要もないし、健全な社会常識に照らして合理性もない」と述べ、裁判員らに「常識で考えてほしい」とも語りかけた。

適切なたとえ話とは思えないですね。そのようなたとえ話をすることで、本件が「夜明けに外を見ると一面の雪化粧」であるのと同じだ、と言いたいのはわかりますが、そういう明白な事案ではないからこそ、ここまで激しい争いになっているのでしょう。また、刑事裁判における「合理的な疑いを超える立証」は、あくまで証拠を評価した上でのことであり、単なる常識とも異なるもので、常識を強調すること(もちろん常識に立脚した判断である必要はありますが)にも、疑問を感じます。
これが、裁判官の入らない、裁判員(陪審員)だけによる判断で有罪、無罪が決まるのであれば、こういった論告は制限されるところだと思われますが、裁判官が入って評議を行うので、評議の際に、この種の誇張や言い過ぎは、裁判官からの説明により裁判員の頭の中で修正されることになるはずですが、好ましいこととは思えないですね。
それだけ、検察官が、立証に自信がなくこの裁判の結論を危惧している、ということなのかもしれません。