「裏づけ捜査に問題」公判中も自覚 鹿児島12人無罪

http://www.asahi.com/national/update/0430/SEB200704290008.html

新たに入手した内部文書は、公判中の04年10月20、26日、同11月2日に開かれた県警と地検との協議をまとめたもの。
それによると、20日の協議では、「買収会合」が開かれた回数にかかわる「被告」らの供述が数日のうちに「1回」から「4回」に変遷したことについて、地検側が「『本当か』と疑問視しなかったか」と県警側にただした。
「関係者の話と複合して変遷した」とする県警側の回答に、地検側は「何を理由として『会合があった』ととらえたか、判断となる証拠があるか」とただす一方で、「当初、検察庁は『多額買収、複数会合がなぜ行われたか』との疑問点を持っていなかったのが現状」「福岡高検から指摘されて、あわててその理由付けの検察官調書を作成した」とも述べている。
26日の協議でも、地検側は「検察庁としても高検協議の時に、4回の会合が実際行われたかという詳細な検討がなされていなかったと考えている」と検証の甘さを吐露。県警側も「複数会合の検討というのは不十分であったかもしれない」と応じている。また、11月2日の協議では地検側から「検察庁でも消極意見はあった。しかし、主任(検事)が起訴すると決めたら、これに従うのが組織捜査。消極意見が出るのは当たり前」と弁明していた。

いずれも、起訴の前に十分検討しておくべきことであり、起訴後にあわてて検討するようなことではないですね。駄目な捜査の典型的な例だと思います。
伊藤元検事総長の「秋霜烈日」に、造船疑獄事件の主任検事であった河井信太郎を強く批判する部分があり、同事件の捜査会議で、河井主任検事をはじめとする強気、積極的な意見が次々と開陳され、そういった見方に疑問を呈したり、問題点を指摘したりする慎重な意見はかき消されてしまって、それが、後日、相次ぐ無罪につながったことが指摘されていたことを思い出します(検察庁関係者には、その部分だけでも読んでみてほしいと思います)。
捜査というものは、自爆テロのようなものではなく、的確な証拠に基づき、起訴するのであれば十分な見込みの下に、問題点を十分検討し起訴が難しければ果断に不起訴に、という、合理的かつ分析的なものである必要があります。主任検事の役割は、積極面だけを見るのではなく、消極面、問題点も十分検討し、その上で果断に判断する、というものでなければならないでしょう。上記の記事を見る限り、起訴前にそのような検討がなされたとは到底思えず、公判が進行する中で、無為にバタバタと騒いでいるだけに終わってしまっていることは、残念と言うしかありません。
私の場合、早くに検察庁ドロップアウトしてしまい、結局、あまり生かせずに終わりましたが、上記の「秋霜烈日」のような、検察関係者を含む法曹関係者の回顧録、事件に関する論評等を読んで勉強したいという気持ちが強くあって、その都度、入手して読んでおり、かなり参考になった記憶があります(弁護士になった後も、もちろん参考になっています)。以前、ドラマの「HERO」を製作する関係で、資料の貸し出しを依頼され、手元にある本をまとめてみたところ、段ボール箱で1箱程度あって、しばらく貸し出したことがありました。私が集めた資料が、もしかしたら、ドラマ「HERO」のストーリーに生かされ、今年9月公開予定の映画にもつながっているかもしれない、というのは単なる余談ですが、現役の検察関係者(特に可塑性のある若手検事)には、過去の歴史に学び同じ過ちを繰り返さない、という姿勢を持ってほしいと思います。