窃盗男、逃亡疲れ果て 『あの女性刑事に捕まりたい』

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007043002012644.html

男は昨年一月と二月、同県東松山市内のスーパーで腕時計などを二度万引して同署で計四日間、任意の調べを受けた。担当した刑事課の女性巡査長は当時、男の身の上話などをきちんと聞き「『たかが万引』と思っているかもしれないが、いけないことはいけない」と諭した。二度の万引はいずれも起訴猶予処分となっていた。
所持金も残り数百円となり、放浪に疲れていた男は、優しくも厳しかった女性巡査長を思い出した。「親切にしてくれたあの刑事さんなら、相談に乗ってくれたり、話を聞いたりしてくれるのでは」と三月十三日、同署に出頭した。

捜査に関する話題が続きますが、上記のようなこともあるので、従来の「カウンセリング的」取調べというものにも、なかなか捨て難い面があります。
本田靖春の「誘拐」で、吉展ちゃん誘拐・殺害事件の犯人が自白するシーンが出てきますが、取調官の丹念な調査、自白獲得へ向けた意欲、被疑者を自白へと一気に追い込むだけの気迫と説得力が、迷宮入り寸前の事件を全面解決へ導き、自白がなければ発見されることがなかった被害者の遺体発見へとつながっています。しかも、この事件では、最終的に、犯人の全面的な改心というものも引き出しています。
私は、取調べの可視化(録画・録音)を、「条件付きで」肯定する立場ですが、吉展ちゃん事件の取調べを、いくら録画・録音で記録しても、それだけでは永遠に真相は解明できなかったでしょう。捜査には、真相を解明する力が必要であり、必要に応じ制度の手当も必要です。
今後、制度が変わるとしても、当面は従来の手法で真相を解明する必要があり、取調べの能力涵養の重要性はますます高まるでしょう。過去の事件に学ぶ意味は、ここにもあると思います。