子煩悩な父親はなぜ火を放ったのか 宮城県の妻と子供2人焼死 殺人罪で立件されなかったワケ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170807-00000538-san-soci

県警は殺人での立件を視野に捜査本部を設置、本格的な捜査をスタートさせた。放火に関しては当初から容疑を認めたため、事件の焦点は殺意の有無に絞られた。何日もかけて徹底的な鑑識活動を行い、油性反応の有無などを調べた。
捜査関係者によると、「火を付ければ家族が死ぬと思った」という趣旨の「未必の殺意」があったともとれる供述をしていたという。それでも別の捜査関係者は「捜査段階での供述を公判で覆す者はいくらでもいる。がっちりとした証拠をつかむ」と捜査を尽くした。
仙台地検は7月25日、自室の布団にオイルライターで火を付けたとして、現住建造物等放火罪で起訴。殺人での立件は断念した形だ。地検の高橋孝一次席検事は、殺意の認定に至らなかった理由について「放火の段階で家には複数人起きている人がいた。動機面でも裏付けに足る証拠はなかった」として、家族が消火したり、子供たちを救助したりすると島谷被告が考えていた可能性を排除できないと説明した。

この種の事件では殺人(未遂)罪の成否が問題になることがあり、私自身、検察庁にいた当時、そういう事件を担当して、殺人罪での立件、起訴を視野に捜査に当たったことがありました(結論としては立件、起訴には至りませんでした)。
放火行為が客観的に見て殺人罪の実行行為と評価できるかは、時間帯や屋内の人の動静、建物の構造などを総合的に見て評価する必要がありますが、上記の次席検事のコメントにあるように、複数の起きている人物がいれば、声を掛け合い外へ逃げ出す余地もあって、実行行為性の認定としてはマイナスに働くでしょう。また、動機面の検討も避けて通れず、日頃から子煩悩だった、妻子まで殺害するつもりはなかったと解する余地があり、そこを排除して殺意を認定できるかどうか、合理的な疑いが残れば殺意認定は困難になります。
さらに、現住建造物等放火罪は、法定刑が「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」とされ、殺人罪を同じであって、殺人罪で無理に起訴しなくても法定刑としては同じという、実務的な考慮が働きやすい傾向もあると思います。
捜査を行う上で、なかなか難しい認定になりやすい点と言えるでしょう。