日本の刑事裁判における「反省」

昨日、某外国の通信社(世界3大通信社の1つ)の取材を受け、質問されるまま、滔々としゃべりましたが、その際、日本の刑事裁判において、なぜ被告人の「反省」ということが、量刑上、重視されるか、ということを聞かれました。それについて、私は、以下のように答えました。

日本は、単一民族の国ではないものの、国土の中に住む大多数は単一民族であり、島国でもあって、国内で1つの共同体が形成されてきたという面がある。そういった共同体の中で犯罪を犯した者がいた場合、共同体として、再びそのような者をメンバーとして迎え入れられるかどうか、ということを決める上で、罪を認め反省し二度と犯罪を犯さないと誓っているかどうか、といったことが、人々の共通認識として重視され、刑事裁判にも持ち込まれて現在に至っているのではないか。そこでは、犯罪を犯した人々も、いずれは元の共同体に戻ってくる、ということが前提となっているし、このような事情は、被疑者や被告人を、罪を認め反省する、という方向に誘導してきた面もあると思う。
したがって、外国人には、上記のような意味での「反省」は、なかなか理解しがたいものがあると思うし、日本の刑事裁判について非常にわかりにくく感じる点の1つなのではないか。

このような話をする中で、近く判決が予定されているライブドア事件についても語りましたが、それについては、もし、記事になって各国に配信されることになったら、英語等で読んでみてください(記事になったら本ブログでも紹介します)。