「一審は想定外」発言を批判 前宝塚市長二審も実刑

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/100518/trl1005181757011-n1.htm

被告が控訴審で「一審の実刑は想定外だった」と発言したことについて「1100万円もの金を受け取っておきながら理解できない」と批判した。
被告側は控訴審で「わいろの一部は使わず返還した」と事実関係を否定したが、判決は「贈賄側の証言などを検討すると、一審の認定に誤りはない」と退けた。

「想定外」発言がダイレクトに実刑維持へ結びついたかどうかはわかりませんが、わざわざ裁判長が言って批判しているくらいですから、裁判官の心証を害したことは間違いなさそうです。一部否認ということもあり、減刑などもってのほかということになった可能性があります。
こういう場面では「想定外」などというのではなく、例えば、

実刑という一審の判決は自分としても覚悟していたものだったが、実際に宣告されると改めて自分のやったことの重大さがひしひしと感じられた。多額の賄賂を受け取った責任の重大性からは当然の判決とは思うが、社会内でやり直す機会を与えていただきたい。

といったことを殊勝に述べる、というのが、考えた対応という気がします。
刑事公判というものは、刑事裁判官のメンタリティというものをよく理解して臨む必要があるでしょう。無罪になるなら、言いたい放題言いたいことを言って構いませんが、多くの事件では有罪となりいかなる刑になるかが問題になります。刑事裁判官のメンタリティでは、罪は犯したが悔い改め反省している、そうであるからこそ社会内において更生できる、そうでない人間は施設内処遇で厳しく処遇するしかない、という強固な固定観念を持っているもので、そういうメンタリティでは、上記の記事にあるような発言は言語道断、ということになってきます。そういったメンタリティ、量刑の在り方を批判するのは自由であり、また、批判的に見るべき面もありますが、それはそれとして、実務ですから、いかにうまく切り抜けるか、ということを考えないと、後悔したときには塀の中、臭い飯(実際は臭くはないのですが)ということになりかねません。注意が必要でしょう。