宮崎家17年の『地獄』 自殺の父親『どんな子でも、私の子ども』

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060118/eve_____sya_____002.shtml

最高裁判決のあった十七日、被告の自宅のあった場所に立った。事件から約一年後、家は取り壊され当時の面影はない。「どんな子どもでも、私の子どもなんです」。十七年前に、被告の父親が心から絞り出すように口にした言葉が、風の中から聞こえてくるような気がした。目に涙がにじんだ。

言葉では言い表せない、非常に重いものを感じます。物事には「救い」というものが感じられないものもありますが、この事件には、何の救いも感じられませんでした。ひたすら、深い悲しみを感じるだけです。