「民事の人と刑事の人」

http://humitsuki.exblog.jp/3917086/

ボツネタ経由。なかなか興味深い内容だと思います。

刑事の場合は,被害者の供述を信用するとなると,それに反する被告人の供述は全部排斥という認定になるのではないか?捜査官の吟味を経てきた証拠だからというのがあるのかもしれないが,結局それは捜査官側の供述証拠に無条件の信頼を置くことになるのではないか。そこに刑事の落とし穴があるような気がする。

刑事の場合は、検察官が描いた「検察ストーリー」全体が是認されるかどうか、という展開になるのが通常であり、そのストーリーの一部が正しくて一部は間違っている、という認定は、なかなか難しい場合がほとんどでしょう。
検察官がそれなりの根拠を提示してストーリーを描いてくる中で、提示された根拠に沿って検察ストーリー通りに事実認定を行い有罪判決を書いていれば、裁判官は大過なく過ごせますから、どうしてもそういった方向へ流れて行く、ということになりがちです。
捜査機関によって作成された供述調書は、あくまで、捜査官がとりまとめたものですから、理路整然としていたり、迫真性があったりするのは当然のことで、そういった点を判決で信用性肯定の理由にするのは、意味があることではありませんが、他に理由もなく、そういった理由付けが多用されているのが実状でしょう。本当に、「理路整然している」「迫真性がある」などと感じられて供述調書の信用性が肯定されているならば、それは、そういった判断をしている裁判所、裁判官自身が、捜査機関の術中に陥っていることに他なりません。
裁判員制度導入へ向けて、裁判所や検察庁があわてているのは、そういった刑事裁判の現状に、大きな風穴が空きかねないと深刻に危惧しているからだと思います。