http://www.asahi.com/national/update/0714/TKY200507140233.html
最高裁のサイトにも出ていました。
公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。そして,公立図書館の図書館職員は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に反するものといわなければならない。
(2) 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。したがって,公立図書館の図書館職員が閲覧に供されている図書を著作者の思想や信条を理由とするなど不公正な取扱いによって廃棄することは,当該著作者が著作物によってその思想,意見等を公衆に伝達する利益を不当に損なうものといわなければならない。そして,著作者の思想の自由,表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,公立図書館の図書館職員である公務員が,図書の廃棄について,基本的な職務上の義務に反し,著作者又は著作物に対する独断的な評価や個人的な好みによって不公正な取扱いをしたときは,当該図書の著作者の上記人格的利益を侵害するものとして国家賠償法上違法となるというべきである。
ここが本判例の核心部分ですね。
一通り読んでみましたが、公立図書館やそこで職務に従事する職員のの公共性、収蔵図書の著作者が、図書館を通じて著作物の内容を人々に伝えて行くこと自体の人格的利益が非常に重視された判例という印象を強く受けました。
最高裁が、公共の図書館が果たす機能の重要性を強調し、そこにおける恣意的な運営を強く戒めたという見方ができると思います。
図書館こそが、多種多様な意見、思想等に触れられる場ですから、そこで、職員の好き嫌いで恣意的な取捨選択が行われるようでは、文明も文化も発展しないでしょう。