http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110530k0000e040080000c.html
公立校での君が代斉唱を巡っては、最高裁が07年2月、都内の小学校長が音楽教諭にピアノ伴奏を命じた行為を合憲と判断したが、教職員全体が対象となる起立斉唱命令について憲法判断したのは初めて。
裁判官4人全員一致の判断。小法廷はまず「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではなく特定の思想を強制するものでもない」と指摘。ただし、起立斉唱行為を教員の日常業務に含まれないとした上で「国歌への敬愛表明を含む行為で思想と良心の自由に間接的制約となる面がある」と位置付け、間接的制約が認められるかどうかは「命令の目的や内容、制約の態様を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべきだ」との判断基準を示した。
その上で申谷さんのケースを検討。教育上重要な儀式的行事では円滑な進行が必要▽法令が国歌を「君が代」と定める▽「全体の奉仕者」たる地方公務員は職務命令に従うべき地位にある−−ことを挙げ「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と結論付けた。
思想・良心の自由は、内面のものにとどまる限り保障は絶対的なものですが、職務上等で一定の行為を義務づけられることが、そういった自由に対し、間接的に影響を及ぼすことは現実にありますから、そういった義務付けが無制約に可能というわけには行かないでしょう。最高裁が示している基準は、そういったグレーな部分について、総合的に考慮して決めるべきとするもので、宗教と公権力との関わり方(政教分離)に関する基準と同様、具体的事例に関する判断の集積による基準の明確化を視野に入れているのではないかという印象を受けます。
ただ、思想・良心の自由が個人の尊厳にとって極めて重要な権利であることや、一旦、それが侵害された場合の深刻な影響といったことを考えると、最高裁が言うような、必要性、合理性、総合的な考慮を行うにあたっては、思想・良心の自由を十分に尊重するという前提の上での判断であるべきで、間接的影響を及ぼさないための、他に選び得る手段はないか、ということも考慮されるべきではないかということも感じます。
上記の記事の事件では、間接的制約の必要性や合理性が肯定されましたが、そのあてはめのプロセスについては、今後の同種事件への影響もあり得るため、慎重の上にも慎重な検証が行われるべきではないかということを強く感じます。