夫婦別姓認めない規定 合憲の初判断 最高裁

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151216/k10010342841000.html

16日の判決で最高裁判所大法廷の寺田逸郎裁判長は、夫婦別姓を認めない規定について、「憲法に違反しない」という初めての判断を示しました。判断の理由として裁判長は「名字が改められることで、アイデンティティが失われるという見方もあるが、旧姓の通称使用で緩和されており、憲法に違反しない」と指摘しました。そのうえで、「夫婦別姓については国会で論じられるべきである」と述べました。
明治時代から100年以上続くこの規定を巡っては、夫婦は同姓にすべきか別姓を選べるようにすべきか意見が分かれていて、最高裁の判断が注目されていました。

同姓を義務づけている国は限られているとみられ、日本政府はことし10月、国会議員の質問に対する答弁書で、「現在把握している限り、法律で夫婦の名字を同じにするよう義務づけている国は、日本のほかには承知していない」と回答しています。
こうした状況について国連の女子差別撤廃委員会は「女性に対する差別的な法規制だ」などとして、日本政府に制度の是正を求めています。

最高裁が、現行の制度を積極的に支持したわけではなく、あくまでも「違憲とまでは言えない」としたまでであって、立法による適切に解決すべきとしたこと自体は理解できますし、ボールは国会へと投げられた、と言えるでしょう。
現在、実現へ向けて論じられているのは、「夫婦別姓」を強制することではなく、「夫婦別姓」を選択できるとするものですから、それが導入されても夫婦同姓という主流、大勢が影響を受けることはありません。家族制度が解体、崩壊するといった「極論」も散見されますが、自らの選択として別姓でやりたい、という選択する人々の営む家族が、別姓選択で解体、崩壊することはないでしょう。そういった選択を封じ込めて不幸せ、不便を強いることは、個人の尊厳を最大限に尊重すべきとする現行の日本国憲法の下にあっては、あるべき姿とは言えないと思います。
個々人が自分の価値観、選択に従って生きることを、国が、社会が最大限尊重するという在り方を、好ましくない、賛成できないと考えるのも個々人の自由ですが、それを法制度に持ち込んで他人の生き方に干渉し邪魔をする、ということは正しいことなのか、考えてみる必要があるでしょう。