リスクを負う者が決定権を有するだけで済むか?

小倉先生のブログ
http://blog.goo.ne.jp/hwj-ogura/e/5b06616784ef9bea3cb69ea2e364c65d
に関し、若干の感想を。
確かに、リスクを負う者が決定権を有しています。しかし、その決定については、厳しい批判にさらされるということは避けられない(決定による影響度や関係する人の態度等にもよりますが)ことは指摘できると思います。最近、「説明責任」(アカウンタビリティ)が、あらゆる組織や人に対して求められるようになっていますが、インターネット上のサービスについても、そういった観点を無視することはできないのではないかと感じます。
また、「問題のあるコンテンツがある場合」に、送信停止措置や削除措置を講じれば、リスク回避ができるかというと、必ずしも話はそう単純ではないわけで、そういった措置を講じられて不利益を被った側からの猛烈な反発とか、法的責任の追及といった「リスク」のことも念頭においておくべきでしょう。
プロバイダ責任制限法上、そういった場合に、プロバイダ側の責任を軽減する規定が設けられているのも、別に無駄なことが暇つぶしでされているわけではなく、法が、そういった事態を当然想定していることを示しています。
現状としては、情報の流通により権利が侵害されていると主張する側のほうが、勢いがあったり、力もあったりする一方で、送信停止とか削除により不利益を被った側は、泣き寝入りしたり、文句を言うだけ言って終わったり、他のサービスに乗り換えたりして、上記のような法的責任の追及までには至っていませんが、今後は、権利意識の高まりの中で、そういった動きも活溌になると私は推測しています。
例えば、犯罪被害者についても、ごく最近まで、その権利などが広く意識されることはありませんでしたが、現状では、その権利に関して基本法までできるという状況になっており、「リスク」を論じる場合は、幅広く検討しておかないと、思わぬところで足をすくわれかねないでしょう。
いろいろなブログを見ていると、「無料で提供されているサービスなんだから、多少怪しいという程度で削除されるのはやむをえない」といった意見が散見されます。しかし、プロバイダ責任制限法にしても、また、従来の裁判例にしても、サービス自体が有料か無料かによって、運営者の責任の程度に特に差異は設けていないと思います。無料だからいい加減でも良いわけではないし、有料だからといってそれを理由に責任が加重されるわけでもない、というのが私の理解です(ここでは第三者に対する責任を問題にしており、消費者契約法上の消費者に対する責任は別論です)。
利用者からは料金をとらない場合であっても、ビジネスとして一応成立している以上、広告モデルであれ何であれ、何らかの形で収益はあげているはずです。利用者自身はお金を払っていなくても、利用者がそのサービスを利用している、ということで、そこに着目したスポンサーなどがお金を出して、それでビジネスとして成立している以上(辛うじて成立していたり、崩壊寸前というところもあるかもしれませんが、それは利用者のあずかり知らぬところです)、実質的には、利用者の負担をスポンサー等が肩代わりしているという見方も十分成り立つでしょう。したがって、利用者から直接料金をとるかどうかが、それほど本質部分(特に、削除等に関する利用者に対する対応の在り方)で差異を生じることなのか?という疑問も当然生じます。
収益をあげるというビジネスとしてサービスを提供していながら、苦情等への対応については、「利用者から料金をとっていないから」と泣き言を言い、利用者にツケを回しているようでは、やはり、そのサービスは長続きしないのではないか、と思います。
弁護士は、相談を受ければ、相談してきた人や会社が法的責任を追及されないように、「そういう怪しいコンテンツは削除しておいたら?」などとアドバイスしますが、そのサービスが利用者に信頼され、ビジネスとして成功するかどうかは、法的責任を免れるかどうか、だけでは計り知れないものがあると思います。法的責任を追及されたくない、という一心で、片っ端からいろいろなコンテンツを削除して、気がついたら、利用者は激減、スポンサーにも相手にされず、ぺんぺん草が生えているような状態になり、世間からも忘れ去られ、ビジネスは破綻、ということにならないために、何をすべきか、を真剣に考えるのが、経営の立場にある人には求められており、そういった「リスク」についても徹底的に検討して行かないと、真のリスク管理とは言えないのではないかと思います。