無罪外国人拘置認める 最高裁要件提示『有罪の疑い強い』必要

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007121502072277.html

決定は「控訴審の審理開始前でも、一審無罪の被告を拘置できる」という過去の最高裁判例を踏襲したが、一方で要件として「一審段階で拘置するときよりも有罪の疑いが強くなければならない」との初判断を示した。

被告は、覚せい剤取締法違反罪などに問われ、千葉地裁で今年八月に無罪判決が出て釈放されたスイス国籍の女性(28)。在留資格が切れており、国外退去手続きが始まっていたが、千葉地裁が職権で拘置を決定。東京高裁の拘置取り消しと別の裁判長による再拘置決定を経て、弁護側が最高裁に特別抗告していた。
補足意見で、田原睦夫裁判官と近藤崇晴裁判官は、無罪判決で釈放された外国人被告に在留資格がない場合、国外退去手続きを止める手段がないことを指摘。控訴審で有罪になった場合に刑の執行ができないなどの問題を挙げた。近藤裁判官は「国外退去の一時停止ができるようにする法整備の必要がある」と述べた。

「一審段階で拘置するときよりも有罪の疑いが強くなければならない」と言っても、強い、弱い、というのは、あくまで程度の問題で、人を勾留するかを決める際の要件としては、あまりにも曖昧すぎるでしょう。一種の気休め、最高裁による世間向けのアリバイ作り(一見、要件を絞ったかのように見せる)のような印象を受けます。
一審で、日本人が無罪になって検察官控訴があっても勾留されないのに、在留資格がない外国人が勾留されてしまうのは、上記の記事にあるように、そのままでは国外退去になって、その後の審理や有罪になった場合の刑の執行に支障を来たすからです。この、あまりにもバランスを欠いた事態を是正するためには、法整備を行うしかなく、今までも繰り返し指摘されながら、それをしないまま放置してきた法務省の怠慢は厳しく批判されるべきでしょう。

「遠縁」吉良記者ゆかりの本所を行く

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20071214-OYT8T00131.htm

吉良邸周辺を歩いて、気づかされたことは上野介に同情的な人が多いこと。思えば、吉良という名前は電話口で「え、木田さんですか?」と間違えられることも多い。そんなときは自信を持ってこう言おう。「上野介の『吉良』です」と。

忠臣蔵は、吉良上野介が悪者になればなるほど盛り上がる、という構造になっていて、ドラマ等では、これでもか、これでもかという感じで悪者にされますから、その意味では、気の毒な面があります。吉良上野介も、あの世で、こんなことになるなら、浅野内匠頭にもっと親切、丁寧に接していれば良かったと、悔やんでいるかもしれません。もう遅いですが。
昨日、午後に横浜で、ある事件の関係の記者会見に臨んだ後、東京に戻り、泉岳寺で行われている義士祭をのぞいてきました。多くの人が集まり、赤穂浪士の墓前にも多くの人が集まっていましたが、浅野内匠頭の墓前には集まる人もまばらであったため、線香を手向けておきました。
忠臣蔵が、なぜ、今なお日本人の心を捉え支持されるかと言えば、単に、主君の仇討ち、というだけにとどまらず、足利氏にもつながる名門であり高家という高い格式を誇る吉良上野介やそれを庇護する幕府に対し、外様の小藩に過ぎない赤穂藩があっけなく取り潰された後、赤穂浪士が、周辺の人々の理解や協力も得つつ、仇討ちと言う一大プロジェクトを実現して行く中で、武士として、人間としての意地を貫き、知らしめて行く、その姿に強い共感が感じられるからではないかと思います。
赤穂浪士の活躍に注目が集まりますが、私は、背後で支えた瑤泉院など、周辺にいた関係者の貢献度も大きいと思っています。特に、瑤泉院は、手元にあった化粧料(瑤泉院の手持金)を、赤穂浪士の活動資金として提供しており、瑤泉院が資金提供に難色を示していれば、討ち入りは不可能か、著しく困難であったことは間違いないでしょう。その意味で、浅野内匠頭は、一説では名君ではなく暗君であったとも言われますが、良い家来だけでなく、良い正室を持った、ということは言えるように思います。
「南部坂雪の別れ」という、大石内蔵助瑤泉院に別れの挨拶に来たが吉良方の間者(スパイ)がいたため別れを告げられずに雪の南部坂を立ち去る、という名場面があり、史実ではないようですが、内蔵助から瑤泉院に宛てた、化粧料の精算報告の書面は実際に残っていて、内蔵助としても、その書面をしたためながら、瑤泉院の陰ながらの尽力に、深く感謝するところは確実にあったと思います。
泉岳寺では、赤穂浪士墓所の脇に、瑤泉院のお墓が目立たず建っていますが、このような面にも目を向け、行く機会がある方には、線香でも手向けていただきたい、という気がします。

追記:

【衝撃事件の核心】起訴する?しない? 「反省」しても否認の守屋夫人、どうなる刑事処分
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/071215/crm0712151809048-n1.htm

「おねだり妻」と瑤泉院を比べては、瑤泉院にあまりにも失礼、という気がしますが、同じく「妻」でも、この落差にはすさまじいものがありますね。

<佐世保発砲>37歳容疑者、銃で自殺…市内の教会敷地内

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071215-00000018-mai-soci

30名もが殺害され、横溝正史の「八つ墓村」のモデルにもなった津山事件(「津山三十人殺し」)を想起させる凶悪事件です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B130%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E3%81%97

事件は14日午後7時10分ごろ、佐世保市名切(なきり)町の会員制スポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で発生。男が2階正面玄関から、散弾銃をホールに向けて発射しながら押し入った。その後、カウンター内側の事務室に子供たちとともに逃げ込んだ倉本さんを射殺。施設見学のためホール内で友人と待ち合わせをしていた藤本さんにも発砲し、死亡させた。
このほか、クラブのマネジャーや客の小学生ら6人も銃弾を受けるなどしてけがを負った。
男は、事務室に一時立てこもったが、プールサイドでも乱射。少なくとも6発を発射したとみられ、散弾銃を持ったまま徒歩で逃走していた。迷彩服でフルフェースのヘルメットをかぶっていた。

特定の対象を狙っていたのか、あるいは、そうではなく無差別に発砲していたのか、よくわかりませんが、今後は、動機の解明が行われることになるでしょう。ただ、容疑者死亡ということで、完全な解明は難しくなる可能性が高いと思われます。
それと同等に、あるいは、それ以上に問題になりそうなのは、このような容疑者に銃の所持を許可していた、その許可の在り方に問題はなかったのか、ということでしょう。先ほど、テレビニュースで、近隣住民らしき人がインタビューに答えて、この容疑者に銃を持たせることの危険性を警察に指摘したところ、逆に食ってかかられた、などと訴えていました。長崎県警は、この点について「問題はなかった」とコメントしているようですが、それで簡単に済む問題とは到底思えません。

川中島の戦い

NHK大河ドラマ風林火山」は、最初は見ていましたが、何となく見なくなっていました。先ほど、外出しようとしていたところ、再放送で、最大の見せ場である川中島の戦いが登場していたので、おもしろそうで見てしまいました。明日日曜日の夜が最終回で、明日も川中島の戦いが取り上げられるようです。
川中島の戦いは、数次にわたって繰り返され、ドラマで取り上げられているのは、有名な「啄木鳥(キツツキ)の戦法」をとった武田軍を、上杉軍が見破って先回りし、手薄になった武田本隊に猛攻をかけ、上杉謙信武田信玄に直接太刀を浴びせるところまで行った(この点は史実かどうか争いがあるようですが)という、あまりにも有名な戦いでした。
啄木鳥の戦法は、武田信玄の軍師(かどうかも争いがあるようですが、それはともかく)である山本勘助発案によるもの、とドラマでもされていました。この戦法は、山上の上杉軍を武田軍別働隊が攻撃し、山から下りてきた上杉軍を武田本隊が迎え撃って、別働隊との挟撃により撃破しようという、確かに魅力的な作戦ですが、魅力的であるだけに、リスクも大きく、最大のリスクは、正に、上記のように上杉軍に見破られ、手薄になった本隊を先行して攻撃されてしまう、ということでしょう。状況は異なりますが、桶狭間の戦いにおいても、数の上では圧倒的に勝る今川軍が、軍勢が伸び、分散もして、今川義元がいる本隊が手薄になったところを、織田信長率いる僅か数千程度の軍勢に奇襲され(「奇襲」と言えるかどうかは争いがあるようですが)、壊滅しています。
このような、非常にリスクの高い戦法を採用するにもかかわらず、山本勘助武田信玄に十分リスクを説明したり、リスクをヘッジするため、別働隊に回す軍勢を本隊に残して手厚くしておくなどの対策を講じるような場面もなく、ドラマなので仕方がないとしても、軍師として検討、対応不十分という印象は拭えませんでした。こういった思い切った作戦を採用する場合には、軍議を開いて、他の有力武将の意見も聞いてみるべきではないか、と思いますが、そのようなシーンもなく、そのあたりはドラマとは言え、描き方にも不満が残りました。
上杉軍に啄木鳥の戦法を見破られ、突如、武田軍本隊正面に上杉軍が出現し、驚愕した山本勘助武田信玄に詫びるシーンが印象的でしたが、私自身も、思い切った方策を自らとったり他人にアドバイスすることもありますから、思い切った方法が無惨にも裏目に出た、このシーンは、他人事とは思えないものがありました。鮮やかな、目覚ましい成果が期待できる方法は、裏目に出た場合の打撃も大きいもので、どこまでリスクをとるか、どこまでヘッジできるか、ということは、常に考えておく必要があると改めて感じました。
なお、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

を読んでいたところ、上記のような武田軍本隊と上杉軍の激突については、啄木鳥の戦法やそれを見破った上杉軍の機先を制した動きによるものではなく、追い込まれた上杉軍が打って出た結果ではないかとか、濃霧(ドラマでも取り上げられていましたが)の中、互いに敵を求めて進軍中に予期しないまま遭遇し、そのまま乱戦になったのではないか、といった説も出ているようで、なかなか興味深く、今後も引き続き関連する本などを読んでみたいと思いました。

東京高裁、存在不明確な警察官メモを開示命令

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071214/trl0712141936007-n1.htm

弁護側は、被告が自白調書の内容について否認していることから、「調書の任意性を否定する内容が記されている可能性がある」として、警察官が調書を作成した際に書き留めた可能性のあるメモの開示を東京地裁に請求した。
同地裁は請求を棄却したが、弁護側の即時抗告申し立てに対し、東京高裁が11月8日に開示命令を決定した。
東京高裁は「警察官は取り調べの際、メモを取ることが義務づけられている」と指摘、「手持ちの証拠には弁護側の指摘するようなメモは存在しない」との検察側の主張を退けた。その上で「検察官がメモを捜査記録に入れなかった場合に、重要な証拠が開示されなくなる」と判断し、開示を命じた。

従来の証拠開示に関する議論は、「検察官手持ち証拠」について論じられてきたという側面があると思います。検察官手持ち証拠ですら、全面開示は認められていない状況下で、手持ち以外の証拠(警察にはあるが検察庁には送られていないなど)までは、理論的にはともかく、実務的には、開示の議論が進まない、という面もあったのではないかと思います。
しかし、現在、警察官に、上記のような義務があるのは事実であり、そのようなメモがたまたま検察官の手元にないから、と言って証拠開示の対象にしないのは、確かに、バランスを欠いており、検察官の手元にはなくても、それ以外のどこかに確実に存在し(少なくとも存在する蓋然性が高く)、検察官が容易に入手できる証拠は、検察官手持ち証拠と同視して、開示の対象に含める、という解釈は、十分成り立ち、また、そのような解釈が望ましいのではないかと思います。
検察庁は、今後の証拠開示に関する影響を考慮(憂慮?)してか、特別抗告までしているようですから、最高裁の判断が注目されるところです。