映画「峠 最後のサムライ」

touge-movie.com

司馬遼太郎の原作

は、高校生から大学生の頃に初めて読んで、河井継之助の生涯には、感銘を受け、また影響を受けた記憶があります。

一昨年から昨年にかけて、長岡藩が官軍と戦った北越戦争の切っ掛けになった小千谷談判の交渉場所になった慈眼寺や、河井継之助終焉の地である只見町にある

www.town.tadami.lg.jp

へも行って見学する機会も持てて、より理解が深まったような気がしました。

「峠」では、河井継之助が英雄的に描かれていますが、同じ司馬遼太郎の短編「英雄児」では、勝ち目のない戦争に突入した河井継之助の無謀さへ、戦後、大きな批判が集まり長岡の人々が河井継之助の墓を打ち砕きに来ることが絶えなかったことが語られています。そういう面にも目を向けてみる必要はあるでしょう。

映画「峠」は、コロナの関係で公開がかなり遅れ、やっと公開になりますが、原作の世界が、どのように映像化されているか楽しみで、是非観に行きたいと考えています。

【速報】「侮辱罪」厳罰化 改正刑法が可決成立 ネット中傷“歯止め”なるか 懲役・禁錮を廃止「拘禁刑」創設

【速報】「侮辱罪」厳罰化 改正刑法が可決成立 ネット中傷“歯止め”なるか 懲役・禁錮を廃止「拘禁刑」創設(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

「侮辱罪」の刑は、現在、30日未満の「拘留」または1万円未満の「科料」のみ。社会問題化する、インターネット上の誹謗中傷を取り締まるには、刑罰として「軽い」との指摘があった。このため、今回の改正では、1年以下の「懲役・禁錮」または30万円以下の「罰金」が加えられ、厳罰化されることになった。

私は、検事としても弁護士としても、名誉毀損や侮辱の案件をかなり取り扱ったことがありますが、弁護士として被害者側で誹謗中傷案件を刑事で告訴しようとする場合、侮辱については法定刑が拘留または科料と低いため、最初からそこは狙わず、名誉毀損で狙いを定めていくという手法に依っていました。警察側でも、侮辱では法定刑が軽いため、そこだけで告訴を受けるというスタンスが、そもそもなかったと言ってよいでしょう。

しかし、今後は、法定刑が1年以下の懲役または30万円以下の罰金と、懲役刑が付いたため、侮辱罪のみであっても告訴の対象とし立件、処罰を目指すというケースが増えると思います。

ネット上で、侮辱的なことを書いている人はかなりいますから、気づいたら侮辱罪で告訴されていたというケースは、今後、かなり増えるでしょう。

侮辱というのは、名誉毀損以外の方法で、他人の名誉感情を傷つけるような表現行為を行うことですが、そういった表現行為の幅はかなり広くなります。一方、名誉毀損では違法性阻却事由がかなり明確に定められていて、正当な批判は比較的広く違法性が阻却されやすいものがありますが、侮辱については、従来、あまり活発に議論されてこなかった面もあって、社会的に相当かどうかとか正当性があるかといった、抽象的な判断基準でしか違法性阻却が判断されてこなかった面があると思います。今後、特に、政治的な批判、社会的な強者、権力者に対する批判といったものに対して、侮辱罪による告訴が次々と行われて、違法性阻却についての基準が抽象的なだけに、弁解が通らず処罰されたり、結果的に不起訴にはなっても防御活動に多大な労力を要するといった事態がかなり出ることも予想されます。

侮辱による被害に対し、従来の法定刑が低すぎた側面があるのはその通りですが、様々な批判的な表現行為には、往々にして侮辱的な表現が伴いがちであり、それについて、従来の侮辱罪の構成要件をそのままにして法定刑だけ引き上げれば、処罰に疑問があるものまでも処罰対象に取り込んでしまう危険性が生じてしまうでしょう。

法務・警察当局は、運用で弊害を回避できるとしているようですが、被害者から告訴が出れば捜査当局は動かざるを得ないものであり、運用だけでどうこうなるものでもありません。安易な厳罰化が、従来、法定刑の低さにより作られてきた均衡(それが100パーセント良かったとは言えないものの)を崩し、改正時には予想されていなかった様々な弊害を生み出す危険性というものも、頭の片隅においておくべきでしょう。

 

南北線「品川~白金高輪」延伸区間が妙にクネクネしている理由

南北線「品川~白金高輪」延伸区間が妙にクネクネしている理由(Merkmal) - Yahoo!ニュース

線形が複雑になったのは民有地を避けたためである。計画では、まず白金高輪駅の南西に敷設されている約300mの留置線を利用、その上で都道である目黒通りと環状4号線の下が主に通る区間となっている。

東京都は都心部を世界的な金融センターとすることで、東京を国際競争力の強い都市にすることを構想している。そのため、新たなターミナル駅となる品川駅周辺の交通網の整備は重視されているというわけである。

私は、白金高輪駅から品川駅は、直線的に結ばれるだろうと単純に考えていたのですが、そうではなく、迂回して回り込むような路線(桶狭間の合戦で、以前、織田信長が採用したと考えられていて最近は否定されている進撃ルートに似ている)であることがわかって、ちょっと驚きました。

極力、民有地の下を通ることを避けるためであると記事にはあって、確かに、そこで長引くよりも2、3分程度、余計に時間がかかる程度であれば許容できるでしょう。

品川駅はリニアモーターカーも開通が予定され、上記の延伸もあり、2030年代半ば頃には今よりも格段に便利な東京の一大拠点になっていることでしょう。それまで生きていればその様子を見たいものです。

 

 

Appleが「iPhone 9」を出さなかったワケ

Appleが「iPhone 9」を出さなかったワケ | AppBank

なぜ命名法則を変えたかというと、Appleは分析的な推論よりも、魅力的なマーケティングを優先しているからです。

2017年のiPhoneの発売には、他のモデルにはない意義がありました。それは、iPhone発売から10周年という記念日だったという点です。

日本のメーカーなら、8の次は9で、9を飛ばすのはおかしい、といった杓子定規な意見が通ってしまいそうですが、そこはマーケティングに長けたアップル、ということでしょうね。

iPhone Xが出た当時のことを思い出してみると、事前に、凄い10周年記念モデルが出るらしいと盛り上がり、発売直後はiPhone Xがなかなか入手できずにネット上で騒いでいる人がたくさんいたことが思い出されます。

これが、iPhone9では、盛り上がり方もあそこにまでは至らなかったでしょう。ナイン、という、英語としてもなんとなく否定的な響き、日本では「苦」につながるという、ネガティブな印象も、避けられた原因だったのかもしれません。

ネーミングの難しさや、うまくいった場合の大きな効果を考えさせられる話題です。

ふるさと納税で現金バックの「キャシュふる」、自治体名の無断利用で謝罪 全額返金

ふるさと納税で現金バックの「キャシュふる」、自治体名の無断利用で謝罪 全額返金(ITmedia NEWS) - Yahoo!ニュース

キャシュふるは「返礼品がいらない人と返礼品が欲しい人をマッチングするプラットフォーム」と同社は説明している。ふるさと納税に関する業務をユーザーから受任し、ユーザーから寄付金額分を集金、同社から自治体に寄付を申し込む。得られた返礼品を欲しい人に販売することで、その売り上げから手数料を引いた金額をユーザーに渡すという。

世の中、いろいろなことを考える人がいるものですが、ビジネスモデルとして見た場合、直ちに違法ということはないとしても、こうしたビジネスを業として行う以上、古物営業法の規制がかかりそうですし、サイト上で安定的に売買が行われて、顧客を維持できるのか、そこはどうなのだろうかと疑問に感じるものがあります。

その後、このサービス自体が提供中止になったようですが、ネガティブな反響も含め、立ち上げ前の、ビジネスモデルとしての練り方が不十分であった気がします。

こうしたことまで出てくる、ふるさと納税というものが果たして現状のままで存在し続けて良いのかという議論にも通じるものがありそうです。

 

地域の旅館やスーパーも地元での知名度基に資金借りやすく…「無形資産も担保」新法制定へ

地域の旅館やスーパーも地元での知名度基に資金借りやすく…「無形資産も担保」新法制定へ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

現行の民法では、土地や建物、設備といった不動産を担保として位置付けているが、特許や顧客基盤、ブランドなどの無形資産は明記されていない。新法は民法の特別法とする見通しで、無形資産と有形資産を組み合わせた事業資産全体を「事業成長担保」と位置付ける。銀行や信用組合など金融機関が事業成長担保をもとに企業に融資する際のルールを明確化する。

こういう方向性自体は望ましいと思いますが、金融機関は、単に担保の有無だけで融資の可否を決めているのではなく、返済が滞った場合に、担保設定している対象から融資金が確実に回収できるかを見ているわけですから、そこも含めた制度設計にしないと「絵に描いた餅」化しかねないでしょう。

法的に権利として構成できるものであっても回収できる価値まであるとは限りませんし、記事にあるような「顧客基盤」といったものの担保価値をどう評価するのか、なかなか難しいものを感じます。

政府が提唱する「新しい資本主義」なるものが、議論が進めば進むほど、次第に現実性のない、掛け声だけの虚しいものになっていくような気がする中、今後が注目されます。

 

「指揮官たちの第二次大戦」

 

昔、

を読んで、人を指揮すること、指揮する立場に立つことの難しさを痛感しつつ読んだことがあるのですが、次々と注目すべき著作を発表している大木氏の最新作を読んでみました。

取り上げられている人物も、それぞれの紹介や評価も、なかなか読ませる内容で堪能したのですが、かつて児島氏の「指揮官」を読んだ時ほどの感銘まではなく、これは、私が当時はまだ若くて感受性が強かったせいなのかもしれません。

とはいえ、大木氏による本書が、指揮官論についての系譜に確実に連なり読むべきものとして位置付けられていくことは間違いないでしょう。

リーダーシップを考える上で、人物研究は重要であり、その意味でも読む意味、価値があると思います。