http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130413-00000015-mai-soci
東京地裁の判決などによると、1963(昭和38)年12月8日深夜、千代田区永田町のナイトクラブで力道山とけんかになり、腹をナイフで刺した。当初、命に別条はないとされたが、力道山はこの傷が原因で1週間後に死亡。
力道山は40年に角界入りし、関脇まで昇進した後に引退してプロレスラーに転身。空手チョップで人気を博し、プロレス中継する街頭テレビは黒山の人だかりとなった。
力道山がこの事件で死亡したのは、私が生まれる約3か月前で、その私が49歳ですから、事件後、随分と時が経過したものだと思います。この事件や力道山については、これまで、いろいろと記事などを読んでみましたが、プロレスで国民的ヒーローになり経済的にも大きな成功をおさめた一方で、力道山は人間的、性格的にあまりにも傍若無人、唯我独尊が過ぎ、事件の際にも、それが大きく影響して相手を激昂させ刺されるに至ったという経緯があって、力道山自身にそれなりの自制、自重があれば、もっと長生きして活躍できていたのに、と残念な思いがします。順調に事が運び成功すると、傲慢になり増長して、周囲のことを考えず我が物顔に振る舞う、ということになりがちですが、勝ちに不思議の勝ちあり、ということを肝に銘じ、山の尾根を歩いていてもその道は細く、いつそこから谷底へ転落するかわからない、という意識で、謙虚に臨むということが大切でしょう。
力道山も、刺した元受刑者も、歴史の中で生きて行くことになりました。