「グラウンドゼロ」と呼ぶべきか―9.11テロ跡地再開発で高まる議論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110802-00000019-wsj-int

「もうニューヨーカーの大半はグラウンドゼロとは呼ばなくなっていると思う。グラウンドゼロは過去を指す言葉で、ワールドトレードセンターは未来を指す。10年後には、グラウンドゼロとして記憶している人はほぼ存在しないのではないか」
シルバースタイン氏ら実業界の人々が、グラウンドゼロという言葉を避けようとするのは想像に難くない。特に、建設中のビルのスペースを売ろうとしている人はそうだろう。
しかし、愛する人を現地で失った人たちが、同じ気持ちでいるわけではない。消防士だった義理の弟を亡くしたティム・サムナー氏は、、グラウンドゼロと呼び続けるべきだと主張する。「別のもののように飾り立てたら、どうやってそこから教訓を得るのか分からない。非常に歴史的なものでもあり、別の名前で呼ぶのは誤りだと思う」

悲しい出来事が起きた時、それを後世に長く伝える意義がある、ということはよくありますが、その一方で、悲しいことは忘れたい、振り切って前へ進みたいというのが、普通の人間の率直な気持ちでもあり、そこで折り合いをつけるかは、なかなか難しい問題ですね。東日本大震災でも、例えば、船がビルの上に乗っている状態を、大津波の猛威を伝える一種のモニュメントとして残したいという意見がある一方で、そういったものは見たくない、早く撤去してほしいという意見も強く、結局、撤去されることになったことが報道されていたのが思い出されます。
様々な意見があるのは当然のことで、見たくない、忘れたい、といった人々の気持ちも尊重し、見せ方や名前等に十分配慮しつつ、過去の教訓を記憶にとどめ再発防止につながるような、考え抜いた対応が、こういった問題では強く求められるのだろう、ということを感じます。