避難より議論だった40分…犠牲者多数の大川小

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110613-00000508-yom-soci

当時6年生の女児を連れ帰った母親(44)によると、母親が担任に「大津波が来る」と慌てて伝えた際、担任は「お母さん、落ち着いてください」と話した。しかし、すぐに避難する様子はなく、「危機感がないようだった」という。暖を取るため、たき火をしようとした教諭もいたとの証言もあったが、市教委は確認できなかったとしている。
市教委の調査では、その後、市の広報車から「津波が松林を越えてきた。高台に避難してください」と呼びかける声が聞こえた。教諭と、この時も、集まった地域住民の間で「山へ逃げた方がいい」「山は崩れないのか」などのやり取りがあった。結局、約200メートル先の北上川堤防付近にあり、堤防とほぼ同じ高さ6〜7メートルの高台に避難することになった。
避難を始めたのは地震から約40分後の午後3時25分頃。約10分後の午後3時37分頃、6年生を先頭に、学校の裏手から北上川沿いの県道に出ようとしたところで波が襲い、高台ものまれた。

こうして経緯を見ると、上記の記事で母親が語る、「危機感のなさ」が最大の問題、原因になったという印象を受けます。徐々に、危機が迫っているという実感は大きくなってきたものと思われますが、避難行動が大きく遅れてしまっていた上、裏山に逃げるべきところをそうしなかったことから、大きな悲劇を生んでしまったということになると思います。そういった選択にも、元々の危機感のなさは影響している可能性が高そうです。
危機的な状況に陥った時、人はどう動くべきか、平時に冷静になって考えているように、咄嗟の場合に動けるかなど、様々な問題を、この大川小学校の悲劇は提起したと言えるでしょう。その答えは、今後、我々が時間をかけても出して行かなければならないと思います。