先ほど判決が終了しました。原判決破棄、完全無罪でした。大きな感銘を受けました。
改めて、判決を分析したいと考えていますが、無罪判決の理由を、メモに基づいてざっくりと書くと、
winny自体は価値中立的な、有用なソフトであるところ、このようなソフトの提供者に幇助犯が成立するかどうかについては、新しい問題であり、慎重な検討が必要である。当審(大阪高裁)における証拠調べの結果も踏まえると、winnyによる著作権侵害コンテンツの流通状況は調査、統計結果により差異があり明確ではないなどの事情が認められる。
被告人の行為は、価値中立的なソフトを提供した価値中立的な行為であり、提供されたソフトをいかなる目的でいかに利用するかは個々の利用者の問題であって被告人には予想できなかった。罪刑法定主義の観点からも、このような行為につき幇助犯が成立するためには、原審(京都地裁)が示したような、違法行為に利用されることを認識、認容していたという程度では足りず、提供された不特定多数が違法な用途のみに、あるいは主要な用途として違法に利用することを勧めている場合にのみ、幇助犯が成立すると解するべきである。
被告人は、違法な利用があり得ることの蓋然性を認識、認容してはいたが、違法な利用をしないよう注意するなどしており、不特定多数が違法な用途のみに、あるいは主要な用途として違法に利用することを勧めて提供していたものではなく、幇助犯は成立しない。
したがって、被告人は無罪である。
というものでした(おって、さらに書きますが、一応の参考ということでご覧下さい)。
既に、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050619#1119183010
等でもコメントしたような、中立的行為と幇助という問題があって、正に本件の本質部分であったわけですが、今回の大阪高裁判決は、その点に正面から答え、明確な基準を打ち出したもので、画期的な判決と言えるように思います。
追記1:
現時点では、まだ、分析というより感想にとどまりますが、有用なツールを開発、提供し不特定多数が利用するという状況の下で利用者の中に悪用した者があった場合、開発、提供者が法的責任、特に刑事責任を負うのかという根源的な問題に対し、裁判所が、バランスのとれた一つの回答を示したということは言えるような気がします。
大阪高裁は、その後に私が入手した情報によれば、
価値中立のソフトをインターネット上で提供することが、正犯の実行行為を容易ならしめたといえるためには、ソフトの提供者が不特定多数の者のうちに違法行為をする者が出る可能性・蓋然性があると認識し、認容しているだけでは足りず、それ以上に、ソフトを違法行為の用途のみに又はこれを主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めて提供する場合に幇助犯が成立すると解すべきである。
として、刑事責任の成立範囲を明確にしつつ限定していました。「ソフトを違法行為の用途のみに又はこれを主要な用途として使用させるようにインターネット上で勧めて提供する」行為が幇助になる、というのは常識的に考えて納得できるのものがあります。ただ、「主要な」というのが、やや不明確と言えば不明確ですが、違法ではない用途が現実的に存在して実際にもそのような利用が行われていれば、違法な用途が主、とは言えないはずですから、基準として使える範囲内にはおさまっていると言えるでしょう。
刑法理論上、判決の上記のような理由付けが、幇助犯の構成要件の問題として捉えているのか、違法性の問題として捉えているのかということも問題にはなるように思われます。判決の趣旨としては、違法性以前の構成要件の問題として捉えているように読み取れ、その意味で、従来、かなり緩やかに捉えられがちで、それだけに、取締目的で濫用されがちであった幇助犯規定の解釈に、一般的に一定の限定を加えたものという評価も可能ではないかという印象を受けます。インターネット上のソフト提供といった行為だけでなく、広く一般的に、各種の中立的行為といったものに対し幇助犯の成立ということを考えるにあたり、この判決が、今後、重要な意味を持ってくる可能性もあって、それだけに極めて注目すべき判決ではないかと思います。
そもそも、本ブログの最初のエントリーは、
Winny事件を契機に情報処理技術の発展と社会的利益について考えるワークショップ
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20040630#p1
でした。有用であり悪用もされるツールの開発、提供行為が悪用されたからといって刑事罰を科せられべきなのか、そこに明確な基準があり刑事責任が限定的に捉えられなければ、特に不特定多数(極めて多数)が関わるインターネットの世界において様々な不都合が生じツールやサービスの提供者を委縮させ、技術やサービスに悪影響を及ぼし、ひいては利用者にも不便を強いることになるのではないかという、私自身の素朴な疑問、問題意識は、当時から現在に至るまで一貫して存在し続けてきました。
そのような疑問、問題意識に対し、今日の大阪高裁判決は、私自身としても納得できる基準を示しつつ答えていて、帰京する新幹線の中から、台風一過後の晴れ晴れとした風景を見ながら、私の心の中でも晴れ晴れとしたものが広がるような気がすることを禁じ得ませんでした。
追記2:
Winny事件被告金子勇氏 二審で逆転無罪
http://news.ameba.jp/domestic/2009/10/47226.html
裁判を傍聴した落合洋司弁護士は、自身のブログで「中立的行為と幇助という問題に正面から答え、明確な基準を打ち出したもので、画期的な判決」と評価した。
アメーバニュースにちらっと登場していました。こういった視点でこの判決を見ている人は、私がネット上で接した限りでは見当たりませんでしたが、今後、こういった視点での議論も深まることを期待したいですね。