http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20090716_302758.html
公判で検察側は、Winnyの機能と特質自体が著作物を流通させることに特化したもので、それ以外の利用は考えられないと主張。また、金子氏の2ちゃんねるへの書き込みなどからも、現行の著作権ビジネスモデルへの挑戦を目的としたもので、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)などが行ったファイル共有ソフトの利用実態調査からも、違法な著作物流通による被害は甚大であり、金子氏の責任は重大であると指摘。罰金刑とした一審判決は軽すぎると訴えた。
一方、被告側は、被告人の金子氏はWinnyを開発しただけであり、一審判決でも認めているようにファイル共有ソフトやその技術は価値中立的なものだと主張。価値中立的な技術を開発したことが安易に幇助に問われてはならず、その基準は明確であるべきだが、一審判決では「その技術の利用状況やそれに対する認識、提供する際の主観的様態」によるとだけされており、基準とは呼べない曖昧なものだと指摘した。
また、著作権侵害について開発者やサービス提供者の責任が問われた海外の裁判では、米国のグロックスター事件、韓国のソリバタ事件、台湾のezPeer事件などではいずれも厳格な要件を求めており、一審判決は世界的な趨勢とかけ離れた曖昧なものだと主張。一審判決に対する「立法手続きを経ずに刑事的制裁を加えることは罪刑法定主義に反する」「民事責任より広範に刑事責任を認めるものであり、容認しがたい」「不特定多数という公衆に対する幇助を認めるのは誤りである」といった法学者の意見も紹介した。
私自身は、、この事件の本質的な問題点は、インターネットのように極めて多数の人々が利用するサービスにおいて、その中の一定数はサービスを悪用するという必然性の中、サービス提供に関わる立場の様々な人々につき、特に、刑事責任のような重い責任が、いかなる場合に問われるのか、その線引き、限界といったことがいかに明確になるのか、ということではないかと考えています。捜査機関は、自分がやりたい事件を、やりたいときにやりたいようにやれば良いと考えていても、そういった恣意性が恣意性のまま横行するようでは、インターネットのようなサービスにおいて、人の行動の自由は大きく制約されてしまうでしょう。
その一方で、インターネットでは何をやっても良い、どういうサービスが提供されどれだけ人が迷惑しようが何をやっても構わない、といったことになってしまえば、一種の無法地帯になってしまい、建設的な発展ということが望めなくなります。
大阪高裁が、そういった問題意識をどこまで持ち、基準、指針のようなものをどこまで打ち出せるか、来る判決に注目したいという気がします。