朝日「死に神」報道に法相激怒 「死刑執行された方に対する侮辱」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080620/trl0806201109003-n1.htm

鳩山法相は20日の閣議後会見で、「(死刑囚は)犯した犯罪、法の規定によって執行された。死に神に連れていかれたというのは違うと思う。(記事は)執行された方に対する侮辱だと思う」と強く抗議した。
死に神」と鳩山法相を表現したのは、18日付朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」。約3年の中断を経て死刑執行が再開された平成5年以降の法相の中で、鳩山法相が最も多い13人の死刑執行を行ったことに触れ、「2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」とした。

獄中にいる死刑囚は、「死に神のような法務大臣が出現した」と、戦々恐々として生活している可能性が高いでしょうね。また、死刑が執行された死刑囚の中にも、刑場で、法務大臣を恨み、のろいつつ死んでいった者もいるかもしれません。「死に神」というのは、あくまで法務大臣その人に向けられたものであり、「執行された方に対する侮辱」というのは、的外れであると思います。
しかし、私は、この朝日新聞の記事の表現が正しいとは思いません。確かに、現法務大臣になってからの執行は急ピッチで、この法務大臣には、惻隠の情といったものがあるのか、といった疑問もありますが、法執行を司る法務大臣として、粛々と職務を執行しているのは事実で、それを「死に神」呼ばわりされては、法務大臣としてもたまらないでしょう。
こういった、低レベルの次元で相争うのではなく、死刑制度の是非、それに代わる刑罰制度がないかどうかの模索など、建設的な議論が必要であると思います。

追記:

私自身は、死刑制度というものについて、徐々に疑問がふくらんできていて、賛成と反対の中間で彷徨しているような状態ですが、自分が法務大臣になれば(あり得ないことですが)、法務大臣としての職務の中に死刑の執行指揮がある以上、個人の思想、信条とは離れて、粛々と行うでしょう。慎重の上にも慎重を期し、指揮すべきという判断に至れば、全身全霊を賭けて執行指揮を行い、そのことについて、例え、死に神と言われようが悪魔と言われようが、一切の反論はせず、批判は批判として甘んじて受け、一切を背負って地獄の底の底まで落ちて行く、そういう覚悟を持つと思います。一人執行すれば一人分の業を背負い、二人執行すれば二人分の業を背負う、そういうものであり、職務とはいえ、他人の尊い生命を奪う執行指揮を行った人間は、深い深い奈落の底に落ちて行くしかない、と思います。
その意味で、敢えて言わせてもらえば、鳩山法務大臣は、自らの職責の重大さが今ひとつ理解できていないのではないか、覚悟に足りないところがあるのではないか、と思わずにはいられません。