http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200802200393.html
弁護士急増による就職難が懸念される中、二〇〇八年度新たに約二千百五十人の弁護士が誕生するのに対し、法律事務所側の求人は八百五人にとどまり、大幅に不足していることが二十日、日弁連のアンケート結果で分かった。
新人の弁護士は通常、法律事務所に所属してベテラン弁護士と一緒に仕事をこなしながら経験を積み、能力を向上させていくだけに、“就職難時代”の到来に日弁連は危機感を強めている。
「新人の弁護士は通常、法律事務所に所属してベテラン弁護士と一緒に仕事をこなしながら経験を積み、能力を向上させていく」とありますが、今後は、そういった発想を転換して行く必要がありそうです。
振り返ってみると、私の場合、法曹としてのスタートは検察庁で切りましたが、平成元年当時の検察庁は、面倒見が悪く、東京地検に配属された新任検事は、最初の数日間、検察庁の仕組などについて講義を聞いた後、里子に出されるように、刑事部の大部屋とか、公判部の検事室へばらばらに入れられました。刑事部では万引き程度の窃盗事件あたりから配点されたり、公判部では比較的簡単そうな単独事件(薬物事件など)に立ち会ったり、といったことから始め、刑事部では、試行錯誤しながら捜査を、公判部でも、先輩検事がついてきてくれるのも最初の1、2回程度で、その後は1人で立ち会っていました。
私の場合、公判部にいたときは、法廷で、とっさに何をしたらよいのか、何と言えば良いのかよくわからず、頭が真っ白になるような場面がよくあり、裁判官や弁護士からは何だかんだと文句を言われ、泣きたいような気持ちになることがよくあったことが思い出されます。刑事部で最初に担当したのが、外国人(中国人男性)による万引き事件でしたが、別の中国人に商品を持たされてしまいどうしようかと思っていたら警備員に捕まってしまった、といった、認めているのやら否認しているのやらよくわからないようなことを、半分泣きながら(嘘泣きだったのかもしれませんが)述べるので、ほとほと困ったことが思い出されます。なぜか、その中国人の名前はフルネームで覚えています。
基本的に、自分で何とかやってみろ、という、一種のOJTではありましたが、困ると、先輩検事とか決裁官などから指導を受けることはできました(親切で丁寧、という人ばかりではなく、指導を受け何かを聞き出す、といったことも一苦労でしたが)。
そういった経験に照らすと、新人弁護士も、従来以上に独立性を高めた状態でキャリアはスタートさせるものの(仕事も自分で探し)、要所要所で、うまく指導が受けられる体制、といったことを構築することが、今後の課題かもしれません。日弁連も、危機感を強めるだけでなく、そういった対策を講じることも考えるべきでしょう。