鳩山法相「冤罪と呼ぶべきでない」発言を謝罪 衆院委

http://www.asahi.com/politics/update/0214/TKY200802140302.html

冤罪の定義について、鳩山法相は「人違いで有罪判決を受け、服役までした場合」などに限定して解釈していたと釈明。「今後、このまったく不確定な『冤罪』という言葉は公式の場で一切使うまい、と考えるようになった」と述べた。
一方、福田首相は同日、法相の謝罪について、首相官邸で記者団に「被害を受けた方の立場になって考える必要があると私は思います」と述べた。

民事訴訟でも同様ですが、刑事訴訟の世界で、「絶対的真実」と言うものはあり得ず、証拠により証明される事実というのは、相対的な真実です。絶対的真実は、神のみぞ知るものでしかありません。その意味では、真犯人が現れたような無罪事件と、そうではない無罪事件で、検察官が起訴事実を証明できなかった、証明できるだけの証拠を提出できなかった、という意味において、何ら差異はない、ということになります。捜査を尽くした上での無罪であれば、やむをえない、といった評価が出てくる余地もありますが、でたらめな捜査しかできず、関係者に多大な負担をかけた、その後の訴訟追行もでたらめだった、ということになれば、真犯人が現れようが現れまいが、反省すべきはでたらめな捜査、公判であり、真犯人が出たから冤罪だった、そうではないから冤罪ではなかった、などという議論に、露ほどの価値もないでしょう。
冤罪ではない、という議論に、もしかしたら犯罪は存在していて、立証できなかっただけなのかもしれない、という、一種の負け惜しみの意味を込めたいのであれば、そういった議論は、少なくとも、立証に失敗した張本人である検察官、検察庁や、それを指揮する立場にある法務大臣が口にすべきことではなく、そういった立場をわきまえずに軽々にそういったことを口にすることを、「見識に欠ける」と言うのだと私は思います。
見識に欠ける法務大臣は、速やかにその職を辞すべきです。福田首相も、他人事のようにコメントするのではなく、この法務大臣の過去の様々な不見識発言に思いを致し、速やかに引導を渡して、従わないのであれば速やかに罷免すべき時が既に到来していると言えるでしょう。