14日、赤穂浪士討ち入り 義士祭博多が元祖 1908年、九州日報に掲載 提唱者の志 泉岳寺で継承

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/20071211/20071211_001.shtml

第1回義士会は、当時の九州日報(西日本新聞社の前身のひとつ)社長兼主筆の福本日南(1857‐1921)が提唱した。福本は、著書「元禄快挙録」によって国民的な忠臣蔵ブームの火付け役となったとされる。

ところが、同年末に福本が九州日報社長を辞して上京したのを機に、事情は一変したようだ。翌10年12月15日付の同紙は「理想化したる義士の事蹟(じせき)」の見出しで、四十七士をめぐる逸話の信ぴょう性を疑う文章を掲載。赤穂浪士を語ることは「社会教育上無用」だと説いた。第3回義士会を伝える記事は見当たらず、会が途絶えたことをうかがわせる。

福本自身は東京に移っても赤穂浪士の顕彰を続け、12年に研究団体を設立した。その後継である財団法人中央義士会(東京)が現在、浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)と四十七士が眠る泉岳寺で義士祭を毎年催し、全国から多くの忠臣蔵ファンを集める。

泉岳寺で行われ、毎年、多くの人が集まる義士祭に、このようなルーツがあるとは初めて知りました。何となく漠然と、江戸時代から行われていたような印象がありましたが、そうではないとのことで、それでは、上記のような経緯で義士祭が始まるまで、12月14日に泉岳寺で何かが行われる、ということはなかったのでしょうか。そのあたりも、逆に興味が生じてきます。
今年も、可能であれば、義士祭をのぞいてみたい、と思っています。