「被爆ピアノ」で平和の尊さ訴え 港区、14日の記念朗読会に“出演”

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昭和7年に製造されたヤマハアップライトピアノ。85ある鍵盤はすべて象牙で、丁寧につくられたものだった。このピアノが被爆したのは、爆心地から1・8キロの広島市千田町(現中区千田町)の女性の実家だった。家のドアは飛び、天井やはりが落ちるほど大きな被害を受けたなか、ガラス片がいくつも突き刺さっていたが、ピアノは倒れずにいた。
終戦の2日後、女性はセレナーデを奏でた。このとき感じた「砂漠に水がしみこんでいくような感覚」は、今でも忘れられないという。

千田町には、私が通っていた中学・高校があります。

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近くの京橋川にかかる、御幸橋という橋があり、原爆投下後、数時間内に、その橋付近で撮影された写真が有名です。私の母校でも、野外作業に出ず残っていた生徒が、爆風で倒壊した校舎の下敷きになって死亡した、とのことで、周辺一帯が壊滅した中で、響いたピアノの音色はどのようなものであったかと思います。
日本は、戦後62年、幸いにして戦争の被害にあわずに来ましたが、平和が決して当たり前のことではなく、他国も含め戦争に至らないようにするにはどうすべきか、始まってしまった戦争を早期に終わらせるためには何をすべきか、といったことを、終戦記念日を機に改めて考えてみることも意味があるでしょう。