語り継ぐ東京大空襲

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20080309-OYT8T00123.htm

墨田区に一家8人で住んでいた橋本さんは、生後1歳3か月の長男を抱きかかえ、両親や妹たちと炎の中を逃げ惑った。避難者で混乱する町で、貴重な白米の入った大きなお釜を抱えて逃げていた2番目の妹の悦子さん(当時18歳)は、途中でつまずいたのか、遅れてしまったという。
「『大丈夫よ、お姉ちゃん、待ってて』と声が聞こえたのに、悦子はそれっきり出てきません。あの時を思うと、いまだに涙が止まりません」
両親は、幼子を抱える橋本さんを逃がそうと、「先に川に飛び込みなさい」と促した。飛び込んだ橋本さんは、そのまま両親とはぐれてしまった。
「自分がかぶっていた防空ずきんを取り私にかぶせてくれた悲しそうな母の顔が胸に焼き付いて離れません」と涙で声を詰まらせる橋本さん。「戦争は二度とあってはならないし、憎みます。戦争を知らない若い子たちに、平和の、命の大切さを訴えていきたい」と会場に語りかけた。

東京大空襲後、63年が経ちますが、当時の日本の戦略、戦術が完全に失敗していたことを改めて強く感じます。こういった非人道的な空襲に及んだ当時の米軍が厳しく非難されるべきは当然ですが、首都の制空権も失い、これほどの惨禍を被るほど追い込まれていた以上、日本としては早期の終戦へと持ち込むべきであり、昭和20年8月の終戦は遅すぎた、というべきでしょう。
私は広島出身なので、幼いときから、学校で勉強したり原爆資料館へ行ったり家族から聞いたりして、原爆によるすさまじい惨禍を繰り返し学んで、戦争が何を生み出しいかに多くの人々を不幸にするか、ということは、自分なりにわかっているつもりです。最近、政治家の発言や世間の論調などを見ていると、戦争というものをゲーム感覚で捉えているのではないか、実際にそこで何が起きるかといったことが実感としてわかっていないのではないか、と危惧されるときがあります。思想上の立場を超えて、戦争について学び、戦争を回避するため何ができ何をすべきか、ということを小さなときからきちんと教育する、ということは、今後も必要でしょう。