「真珠湾論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交」

真珠湾<奇襲>論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交 (講談社選書メチエ)

真珠湾<奇襲>論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交 (講談社選書メチエ)

こちらは、以前に購入し、読まねば、と思いつつ途中までしか読めていなかったので、福岡へ行く途中の飛行機の中と、滞在中のホテルで読み切りました。先日、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070608#1181267740

でも少し触れましたが、真珠湾攻撃を巡っては、様々な「陰謀説」が展開されていて、この本では、そういった数々の陰謀説を検証し、「陰謀はなかった」という結論を導いています。陰謀説についてどのような立場を取るとしても(私自身は否定説ですが)、一読の価値がある本であると思います。
私にとって、陰謀説よりも、むしろ印象的であったのは、当時の日本政府指導者層の重大な「読み違え」や、最後通牒の手交遅れ(今に至るまで「騙し討ち」の汚名を着せられているわけですが)の背景にある、日本と現地ワシントンのコミュニケーション・ギャップ、といったことでした。
上記の本の「補章 日米通商航海条約(1911年)廃棄の背景」でも論じられていますが、1939年にアメリカが同条約について、突如として廃棄通告してきたことに、重大な意味があったと思います。アメリカが、日本の中国大陸進出を強く警戒し、阻止しようとしてきたことに対し、日本として、決定的な対立、戦争に勝ち抜く見込みがなければ、どこかで妥協する方策を探る必要があったはずであり、そういった深刻さについて読み違えたまま南進政策を採り、結局、破局、開戦に至り、多大な犠牲を出し敗戦を迎えたことについて、当時の指導者は大きな責任があると思いました。
また、開戦時の最後通牒手交の遅れの背景には、この本でも指摘されているように、開戦へ向け刻一刻と突き進む東京側の緊迫感が、ワシントンの日本大使館にきちんと伝わっていなかった、という重大なコミュニケーション・ギャップがあり、それが手交遅れの一因になったのは事実と思われ、今後に生かすべき歴史の貴重な教訓と言えるように思いました。