「ルーズベルト親電」伝達遅れ、GHQ徹底調査

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130307/plc13030712510009-n1.htm

大統領親電は16年12月6日付。公開済みで「危局に際し陛下に於かれても余と同様に暗雲を一掃するの方法に関し考慮せられんことを希望するが為なり」との内容。暗号を用いて在京米大使館へ本国から打電され、日本時間の7日正午ごろ、東京中央電信局に届いた。大使館に配達されたのは同午後10時半ごろ。昭和天皇に伝わったのは真珠湾攻撃寸前の8日未明だったとされる。配達まで10時間半も要した点について電信官は関与を否定した。

この親書については、日米開戦前夜を描いた本や映画(「トラトラトラ」でも東條首相が親書について「遅すぎたよ」と吐き捨てるように言うシーンが出てきます)等にはほぼ必ず出てきます。なかなか通読できずにいる

グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)

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でも、グルー大使が、12月7日の深夜、親書を昭和天皇へ届けるため東郷外相と面会するため、大使館内に住む書記官のガレージまで走って行き、書記官の車に乗って(大使館の運転手は既に帰宅していたたため)、東郷外省のもとへ行く場面が出てきます(191、192ページ)。しかし、親書が開戦を回避するのに役立つことはなく、開戦に至ってしまいました。
当時は、軍部が、こうした外交関係の電報を、日本に到達した後、すぐに配達されないよう、意図的に遅延させていたようであり、なぜ、ここまで遅れたのか、真の原因はよくわかりませんが、山本五十六連合艦隊司令長官は、真珠湾作戦を決行するぎりぎりの段階まで、和平の道が開かれれば攻撃を中止するよう麾下に厳命していたもので、親書の到達がもっと早ければ、歴史に「もし」はないとしても、開戦は避けられた可能性はあり、GHQが徹底調査するだけの重要な局面ではあったと言えると思います。
国と国との間の重要な局面において、最高首脳相互の直接の意思疎通が重要であることや、そのようなルートを前もって用意しておくことの必要性を、強く感じさせられます。日本と近隣国の関係が良好ではない現状の下で、学ぶべき歴史と言えるでしょう。