「白紙調書」が生まれる背景

「白紙調書」について、若干の補足を。
検察庁で、白紙調書のようなものが作成されることは、まず、ないと思われますが(捜査の適正を担保すべき存在である検察庁がそのようなものに手を染めること自体が自殺行為でしょう)、警察レベルでは、残念ながら現実に存在することがあり、指宿教授のブログでも紹介されているように、裁判例で存在が認定されたこともあります。

http://imak.exblog.jp/2114402/

実態を調査した人は誰もいないので(少なくとも私はそういう調査をしたという話は聞いたことがありません)、白紙調書がどの程度存在しているかは、誰にもわかりません。私自身は、そういう事態を直接経験したことはありませんが、取り調べた被疑者とか参考人が、「調書に署名指印(押印)しておくので、あとは検事さんのほうで適当に調書を作っておいてください。」などと言うので、「調書は、そういう作り方をしてはいけないものだ。」と言ったところ、相手が、不思議そうな表情を浮かべていたという経験はしたことがあります。あくまで、そういった経験の中で受けた印象ですが、そういう相手が、過去に白紙調書というものを現実に(おそらく警察で)経験していて、許されないことという感覚がなかったのかな、と思ったことが過去にはありました。
白紙調書が生まれる背景事情について、過去の裁判例や自分自身の経験も踏まえた上で、私なりに考えてみると、

1 比較的軽微な事件を大量、迅速に処理するために白紙調書を利用する
2 令状請求用にある程度ストックしておいて、小出しに使って行く
3 特定の事件の、被疑者・被告人との歪んだ関係の中で生まれる

といったことがあり得るのではないかと思います。
1は、自転車盗などの、比較的軽微で処罰されなかったり、罰金程度で済むような事件において、先に署名指印(押印)だけをとっておいて、捜査官が、「あとは適当に書いておくから」などと言うパターンです。
2は、特に薬物とか銃器の捜査(頻繁に数多くの捜索を行うことで捜査対象物件の発見、押収が期待できる)で、捜査官が仲良くなるなどした被疑者・被告人に、白紙調書何通か(何十通も?)に署名・指印(押印)させて、どこかにストックしておき、捜索・差押許可状がほしくなると、適当に「私は、どこそこで、なんとかという人が、覚せい剤を持っているのを見ました云々」といった調書をでっちあげ、令状をとって、それで捜索をかける、というパターンです。令状裁判官が、記録中にある供述者から直接事情を聞くことは、まずありえないので、こういった白紙調書を、常にストックしておくと、自由自在にガサがかけられることになり、あくどい捜査官にとっては非常に便利でしょう。
3は、被疑者・被告人と捜査官の人間関係が濃密になりすぎたり、あるいは、捜査官が圧倒的に優位に立ち被疑者・被告人が完全に屈服してしまって、調書に署名・指印(押印)だけさせて、あとは自由自在に捜査官が調書を作って行く、というパターンです。
私の印象(あくまで印象です)では、従来、比較的多かったパターンは、おそらく1や2で、3は非常に特殊なケースに限られていたものの、2は、裁判の中で問題化したり事件になったりしたことで、現在はかなり減り、1については、処罰に至らなかったり罰金程度で済む場合がほとんである分、依然として根強く残っている部分があるのではないか、と感じています。
令状を担当する裁判官は、今後も、2の可能性を常に念頭に置いて、令状発付にあたり慎重に検討を行うべきではないかと思います。
日本の警察は、優秀で評価すべき点が多い一方で、目的のためには手段を選ばないという恐い面もあるので(どこの国でも警察というのはそういうものかもしれませんが)、警察が違法・不当なことをするはずがない、といった、牧歌的な気分で物事を見ていると、取り返しがつかない事態が生じることになりかねません。