郵便不正 村木被告無罪の公算大 元部下の供述調書不採用

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100526-00000019-maip-soci

横田裁判長は「証明書の作成は自分1人でやったと伝えたのに、村木被告から指示された内容の調書を検事がでっち上げた」とする上村被告の公判証言について、「(上村被告が拘置中に記載していた)被疑者ノートの内容は公判証言に合致する。検事は村木被告関与のストーリーをあらかじめ抱いていた」と指摘。さらに、上村被告が自身の犯行を認めている点にも触れ、「虚偽の公判証言をする理由が見当たらない」と公判証言が信用できると判断した。取り調べ段階の供述調書に特信性(高度な信用性)を認めず、証拠採用を却下した。
また上村被告のほか、横田裁判長が先月、一部無罪の判決(検察側が控訴)を言い渡した「凜の会」代表、倉沢邦夫被告(74)ら2人の調書についても「検察官による誘導があった」などとして証拠採用を却下した。

検察庁としては、立証の主要な柱が軒並み倒壊してしまったようなもので、論告すら書けない可能性もあって、極めて深刻な事態と言っても過言ではないでしょう。このような事態を招いてしまった捜査の在り方について、猛省の必要があることは明らかです。
従来の検察庁における独自捜査では、

1 警察よりもはるかに頭の良い、経験も備えた主任検事等(ロッキード事件における吉永祐介氏のような人)が、内偵に基づき実態に即したストーリーを作る
2 低調な弁護活動を遥かに凌駕する圧倒的な捜査力が集中的に投入され、そのような捜査力に屈服し「しゃべる」被疑者が確保される
3 裁判所が、検察捜査を信頼してくれ、多少の無理には目をつぶってくれる

といった好条件に恵まれ、それなりの成果を挙げてきたと言ってよいでしょう。
しかし、今や、1のストーリー作りが、かつての完成度が8、9割とすれば、3、4割程度がせいぜいというレベルにまで落ち込んきている上(その背景には世の中が複雑になってストーリーが追いつかないことや、うまくストーリーが作れる熟達者がいなくなったということがあるでしょう)、2についても、弁護活動が、熾烈化、活発化し、その一方でかつてよりも捜査力が低下する中、被疑者側としても安易にぺらぺらと自白しなくなって、「しゃべる」被疑者が確保しにくくなっているということもあると思います。3についても、裁判所の事実認定が厳格化し、かつてのように、検察庁にはおまけしてくれたり目をつぶってくれるといった検察寄りの裁判官が、まだ残ってはいるものの徐々に減ってきているということも言えると思います。
検察の独自捜査というものを根本的、抜本的に見直して行かないと、今後、ますます、無理な捜査により墓穴を掘り無残な結果に終わり国民の信頼をますます失墜させて行く、ということになりかねない(と言うか、確実にそうなって行く)と思います。