ロースクールについて(続)

町村先生のブログでは、いつも勉強させてもらっていますが、私のブログの、ロースクールに関する感想について、

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/09/lawschool.html#more

でコメントをいただきました。
私は、現行の司法試験制度、司法修習制度の中で実務法曹になっているので、現行制度を肯定的にとらえがちですが、無批判に礼賛しているわけでは、もちろん、なく、現行制度(特に司法試験制度)に対する批判の上に、現在のロースクール制度が成り立っていることは、十分承知しています。町村先生の

現行司法試験の問題形式や、それに効率的に合格しようというだけの目的でなされる勉強の内容は、自ずと限界がある。論証丸覚えになるかどうかは別として、少なくとも試験に出ないことは勉強しないと堂々という受験生は数多い。
法律基本科目に限っても、その背景となる理論的・社会的事実や歴史・沿革も含めて、きっちりと勉強した者が、個別の論点についてもきちんとした解釈論ができるようになるのであろう。

という指摘については、現在、勉強中の人にも、肝に銘じてほしいところです。
それに関連して、私の感想を言わせていただくと、私が大学に入学した昭和58年から司法試験に合格した昭和61年までの司法試験受験生の中には、その当時から、受験予備校に入り浸っている人、予備校のテキストを丸暗記するような勉強をしている人がいましたが、それで合格したという話は、あまり聞かなかったという記憶です。
合格者が500名に満たず(400名台の後半)、今から思うと、結構、本格的な勉強(あまりにも本格的すぎて、かえって合格から遠のいている人もいましたが)をしている人が多く、そういう中で、底の浅い勉強をしている人が、最終合格までするのは、かなり無理があったのではないかと思います(別に、「そういう中で合格した自分が偉い」などと自画自賛しているわけではありません)。
その後の、司法試験自体の平易化(ここで言っているのは問題、特に論文試験問題のことです)や合格者数の増加の中で、底の浅い、問題のある勉強をしていた受験生が、「合格枠制」といった一種の抜け道もあって、合格するケースが目立つようになってきた、ということが言えるのではないかと考えています。
私も、司法試験の予備校は利用しましたし、予備校、即、悪、といった、どこかの超大国の大統領のような、単純極まる善悪二元論には与しませんが、15年余り実務家としてやってきた経験から言うと、実務法曹としての「核」の部分の資質を培うためには、定評ある基本書の精読、良い講義を聴くことによる理解の増進、適切な指導者の下での議論(ゼミなど)、論述のトレーニング(適切な添削等を受けながら)といった作業を、繰り返しをいとわず、地道にこつこつと続ける必要があると思います。そういった勉強をする中で、「試験」に合格するための適切な対策を組み込むべきであって、「まず対策ありき」では、下位合格者として、なんとか滑り込み、その後も、常に底辺の近くをさまよう法曹人生を送ることになりかねないと思います。その意味では、私の意見は、町村先生とほぼ同じということになるでしょう。