ソウル地裁、「ネット書き込みの名誉毀損、ポータル側に賠償責任」

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007051914118

奥村弁護士のブログでも取り上げられていましたが、韓国の裁判所における、名誉毀損事件に関する判断です。

裁判所はまず、書き込みの管理に対するポータルサイト側の注意義務を明確にした。ポータルサイト側は、「マスコミが供給する記事をもらい重要度によって配置するだけで、記事を修正・削除・編集する権限がないため、名誉毀損の責任はない」と主張したが、受け入れなかった。
判決は、「ポータルサイトは、読者の興味を引くために記事のヘッドラインを変えることもあり、記事の下に書き込みができるようにし、世論が形成されるよう誘導することもある。事件の場合、(記事自体でなく)その書き込みを通じて金氏に関する具体的な情報が公開されたため、ポータルサイト側は名誉毀損の責任を避けられない」とした。
判決は、「ポータルサイト側が掲示物を24時間監視し削除する義務まではないとしても、日常的な監視を通じて問題の書き込みがあることを認知すれば削除する義務がある。当時、金氏に関する記事は多く読まれ、検索語の順位で上位にランクされていたので、問題の書き込みがあったことは十分に認識できる状態だった」と加えた。
判決は、日増しに影響力を拡大しているポータルサイトの社会的責任にも触れた。
判決は、「インターネットが世論を牛耳る多大な影響力を持った媒体として位置づけられているだけに、ポータルサイトは不良情報の流通を防ぎ、健全な文化が定着されるように努力しなければならない。インターネット・サービスで営利活動をするポータルサイトは、それ相応の責任がある」と強調した。

日本でも問題になることがある「配信サービスの抗弁」に似た主張が出ていたようですね。この点については、日本の最高裁も、全面的には否定していないものの、今のところ肯定する判断は示していませんが、韓国でも、厳しい判断が出たことがわかります。
全体として、日本の、特に高裁レベルの判断と論調が似ているような印象を受けます。日本、韓国というよりも、アジア周辺諸国の物の考え方として、似通ったものが出てきているのかもしれません。
こういった考え方が固まれば、ポータルサイトにかかる負担は、取り扱う情報量が増えれば増えるほど増大することになります。また、「営利活動」といっても千差万別で、個人で掲示板を運営しアフィリエイトで細々と収入を得ている、といったものも含まれてきますが、裁判所が要求するハードルを越えることは、かなり難しいと感じる人は多いでしょう。さらに、この問題は、営利目的を有しているかどうか、で区別すべきではない(他人の人格権が問題になっている以上)という考え方も成り立ち得ますから、そうなると、脅威を感じる人々は更に増えるはずです(例えば、ブログのコメント欄も一種の掲示板で、ブログ主には「相応の責任がある」ということになります)。
このような問題状況に対し、匿名性を制限し、情報の発信者に安易な情報発信をさせない、情報発信者の責任を直接追及しやすくする、という方向で進める、というのも、1つの方法としてはあり得るでしょう。
しかし、匿名性を本質的に内包するインターネットの性格、規制するとしても全世界に広がるインターネットを網羅的に規制すること自体困難、匿名性制限による表現に対する萎縮効果、といったことから、そういった方法は、当面、困難だと思います。
ということで、名案はなかなか出てこないわけですが、今後の方向性として、教育や啓発によるインターネットリテラシーの強化、プロバイダ等にログの保存を一定期間義務付けること、裁判以外のシステム(ADRなど)により紛争を迅速に解決できるようにすること、といったことが思いつきます。

販売時の本人確認要請へ プリペイド通信カード

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007050801000608.html

問題のカードは「bモバイル」の名称で、パソコンに差し込んでPHS電波でネットに接続する。150時間分の通信費込みのタイプが約3万円。6年前から販売を始め、2005年には約5万6000個を出荷した。

この問題については、かなり前になりますが、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041121#1100963778

で触れたことがあります。以前、警察関係者から聞いた話では、一種の使い捨て状態で、このカードを買っては悪用し、捨ててはまた別のカードを買って悪用する、ということを繰り返す犯罪者が多い、とのことでした。
ただ、販売時に本人確認を行っても、「確認」のレベルが低く(偽造の身分証明書など使い放題)、しかも、販売後に転々と譲渡されてしまうことも十分考えられますから、実効性はそれほど大きくないでしょう。「焼け石に水」といったところでしょうか。

匿名性が排除された社会

犯罪者を検挙するためには、犯罪が誰によって行なわれたかを特定できる必要があります。匿名性が存在するからこそ、そういった特定が困難であり、世の中から匿名性というものが排除されればされるほど、犯人検挙は容易になって行くでしょう。その意味で、犯罪との闘いは、匿名性との闘いと言っても過言ではなく、かつ、犯罪にはあらゆるものが含まれ、当然、サイバー犯罪に限定されません。
匿名性排除を徹底しようとすれば、例えば、以下のような措置が考えられるでしょう。

1 個々の国民を、身体的特徴等で厳密に特定して把握し、そのデータを捜査機関が容易に使える状態に置く
2 日本に入国する外国人からも、1と同レベルの情報を取得、保有して捜査機関が使えるようにする
3 日本全国のあらゆる場所に監視カメラを張り巡らせ、長期間保存し、捜査機関が情報を容易に使えるようにする
4 人が、社会内で行うあらゆる行為(インターネットの利用だけでなく、買い物、交通機関の利用、いろいろな場所への出入り等)について、上記の1及び2で把握されたデータと連動させて記録し、個々の人間のあらゆる動きがたちどころにわかる状態にしておく
5 捜査機関が、必要と認めれば、人の活動に関する情報を、迅速かつ容易に入手できる制度を完備、確立する

ただ、上記のような各措置が徹底されればされるほど、それはそれは住みにくい社会になることは確実でしょう。どこに行っても監視され、行動は逐一記録される社会というのは、犯罪者だけでなく、犯罪とは無縁な人々にとっても、窮屈で息が詰まるような社会になることは確実です。
しかし、犯罪を防止し、起きた犯罪を解決するためには、匿名性をまったくの野放しにはできず、人々の行動に制限、制約が加わっても、やるべきことはやる、ということも必要な場合があります。要は、そういった相反する利益の対立の中で、どこにバランスを求めて行くか、ということが常に厳しく問われているということではないかと思います。
警察等の捜査機関が、上記のような意味での匿名性の排除を口にする場合、対立する利益への配慮は欠如していたり、申し訳程度にとどまっていたりしがちです。また、「犯罪に無縁な人に迷惑はかからない」といった、一見、もっともらしいロジックで語られがちです。
しかし、自由が制限されるということは、犯罪者だから構わない、善良な人々には関係ない、という簡単な問題ではなく、人の属性を問わず幅広く制限が及ぶということを見落とすべきではないでしょう。そして、一旦、失われてしまった自由を回復することは困難であり、特に、民主主義を支える存在である「表現の自由」が損なわれてしまえば、民主主義を維持することすら困難になりかねない、という、極めて深刻な事態にもなりかねません。
そして、「匿名性」というものも、単に悪用、濫用されているだけでなく、匿名性があってこそ表現される言論というものも存在すると思います(内部告発等)。世の中には、実名を出し、堂々と言論、表現活動ができる、それだけの力がある人々だけが存在しているわけではなく、そういった人々であっても、問題点を明らかにし世を正したいと思う場合がある、ということを忘れるべきではないと思います。
匿名性というものは、もちろん、無制約ではなく、一定の制約はやむをえませんが、過度に制限することは、言論、表現の自由の封殺にもつながりかねず、常に慎重な検討、議論が必要でしょう。
こういった大きな視点が欠けたままでの議論には、大きな危険性を感じずにはいられません。

[匿名掲示板]「中傷“無法地帯”は放置できない」

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070401ig90.htm

読売の社説ですが、内容は、私のようなしがない弁護士でも書ける程度のもので、特に目新しい内容はありません。
ただ、気になったのは、

現行の法制度でネット上の不正に対処するには限界がある。
かつて、住宅金融専門会社の債権回収が問題になった時、預金保険機構に強制調査権限を付与する法律を整備し、不良債務者の資産を徹底的に洗い出した。こうした特別立法で、ネットの分野に限った手だてを講じるのは一案だろう。

です。
どのような「特別立法」を考えているのか知りませんが、このようなことを安易に放言するのは危険だと思います。「強制調査権限」を、もしかしたら警察にでも付与しようとでも言うのでしょうか?
戦前でも、「怪しからん米英を懲らしめるべきだ」などと、国民を盛んに扇動して、無謀な戦争への露払い役、幇間役を務めたのは新聞等のマスコミでした。
歴史は繰り返す、と言いますが、やはりそういうものなのかもしれません。
私は、こういった問題について、必要かつやむをえない規制には反対しませんが、一般利用者に対する過度な負担をかけ、その権利を侵害しかねない規制や、実効性や合理性に疑問がある規制には断固反対します。読売には、読者の大多数が、違法・不当な行為とは無縁でインターネットを楽しむ人々であり、「特別立法」といったものが、そういった善良な人々にも負担をかけるものになる、という視点を、1日も早く持ってもらいたいと思います。

追記1:

一般の人々が、「匿名性」が完全に確保され何をやっても特定されない、と思い込んでいる分野でも、実は警察が匿名性の壁を乗り越えて犯人検挙につながっている、ということは少なくありません。インターネットカフェも、一見、本人確認をせず利用者が特定できないように思えても、実際は、いろいろな捜査を駆使することで特定されている場合があります(詳細は、公益上の理由もあり、ここでは明らかにしません)。どうしても知りたい人は、警察庁総合セキュリティ対策会議のメンバーにでも聞いてみてください。そういった人々は、そのような捜査の実態を十分踏まえた上で、提言等を行っているはずですから。
それで十分なのか、ということは、当然、問題になりますが、上記のような「思い込み」を前提にした議論をしてしまうと、議論の前提が誤っている、ということになるでしょう。

追記2:

警察が、「我々は無力です、もっと手段を下さい」と言っている場合、文字通りである場合と、オーバーに言っている場合がありますから、単に文字になっていることを追っているだけでは実態を見誤る恐れがあります。見誤っているだけであれば、見誤っている人だけの問題で済みますが、それなりに影響力がある立場でそういった誤りを犯すと、事が単純なものでは済まなくなる場合もあります。自重自戒を含め、そのことを改めて強く感じます。

本人確認の困難性

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070329#1175134157

に関連して、若干、補足を。
本ブログでも、時々、「匿名性」に関してコメントすることがありますが、日本の現状では、取引等の場において、実在する人を厳密に本人と確認することは極めて困難というのが実態です。
まず、最近の新聞記事でも取り上げられているのを読みましたが、写真付きの身分証明書(フォトID)を、皆が皆、持っているわけではありません。公安委員会発行の運転免許証が、社会的に認知された典型的なフォトIDだと思いますが、そういったフォトIDを持っていない人も少なくありません。写真のない証明書では本人が「確認」できたとは到底言えないでしょう。
また、フォトIDについても、残念ながら、いとも簡単に偽造できてしまうのが実態です。運転免許証だけでなく、パスポート、外国人登録証等々、お金さえ出せば、偽造できないものはない、というほど何でも偽造してくれる裏の偽造屋が存在し、時々、警察による摘発を受けることはありますが、根絶には程遠く、そういった偽造屋が作った偽造の書類(フォトIDを含む)を使って、日本全国で、次々と預金通帳、携帯電話等々が不正に取得されています。現場の警察官自身が、「運転免許証で本人確認なんてできませんよ」(実際にそういう話も聞きました)と言っているくらいで、現在の日本は、真面目な人ほど本人確認による負担を被り、悪い人間ほど易々と切り抜けてしまっている、と言っても過言ではありません。
担当者と対面した上で本人確認を行う、という場合であっても、この惨状ですから、インターネットを利用するにあたり非対面で本人確認を行う、という場合、さらに低レベルのものになってしまう、というのは自明の理です。
警察は、犯罪を防止し起きた犯罪については犯人を検挙するのが仕事ですから、日本が警察国家になろうが監視国家になろうが、犯罪を防止し証拠を確保するためには手段を選ばない、やりすぎるくらいやって間違ったら富山県警や鹿児島県警のように謝って終わりにすれば良い、ということになりがちですが、警察や警察御用達の学者等の言うがままで、上記のような「尻抜け」状態であるにもかかわらず、真面目な人々だけ馬鹿を見て、警察等に情報が集積しプライバシーがどんどんなくなってしまうような方向で匿名性の排除が進んで良いのか?という「健全な」問題意識は必要でしょう。
そもそも、監視されている、と思えば、違法、不当なことはしていなくても(していないつもりでも)、人は萎縮しがちなものです。表現の自由に対する萎縮的効果、ということが、よく問題にされますが、何かを表現する場合、他人について立ち入ったことを書く場合、名誉やプライバシー等の侵害になるかならないか、といったぎりぎりのところに立つ場合もあり、常に警察等に監視されている、情報が筒抜けになる、ということになれば、良い方向と同じかそれ以上に、悪い方向での萎縮的効果が生じる恐れが出てきます。そういった社会が、日本国憲法下における望ましい社会なのか、ということも、真剣に考えておく必要があります。
犯罪防止や犯人検挙のために、各種の措置を講じることは必要であり、警察にそのための手段を与えることも必要ですが、過度にわたれば人権等との関係で問題が生じるのも事実であり、そういった緊張関係については、常に思いを致しつつ考えて行く必要があると思います。

追記:

要は、何かを徹底的にやるか、まったく何もやらないか、の間に、いろいろな選択肢がある、ということでしょうね。違法、不当な行為の防止につながるような措置(例えば本人確認)を、まったくやらないのは、やはり問題でしょう。一定の措置が講じられていることで、防止される行為はあるはずで、例え「イタチごっこ」ではあっても、必要なイタチごっこ、というものは確実に存在します(かつて、何代か前の警視庁ハイテク犯罪対策総合センター所長と面談していた際に、そういった趣旨の話が出て、なかなか良いことを言われるものだと思ったことがあります)。
しかし、やりすぎてしまう、徹底的過ぎてしまう、ということで、失われる利益が耐えられないほど大きかったり(プライバシー等)、かける手間暇や費用に対して得られる効果が乏しい、ということも、当然、起きてきます。そこまですべきではない、という判断を働かせるべき場合もあるでしょう。
学問の世界であれば、極論と極論を果てしなく戦わせるようなことをする意味もなくはないと思いますが、現実、実務の世界では、上記のような検討を、現実的かつ具体的に行うしかなく、どこに結論を求めるかは、最終的には国民が決断すべきことではないかと思います。

ネット詐欺防止へ「カフェ」からの接続規制提言

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070329-00000002-yom-soci

ネットカフェを巡っては、犯罪に悪用されても利用者が特定できない匿名性が問題になっており、警察庁は、運営会社やカフェの加盟団体やなどに導入を要請する。

この種の悪用事例は多く、提言自体はそれなりに理解できますが、実効性や利便性の点で疑問が残ります。「規制」するためには、運営者が、ネットカフェ側のIPアドレスを網羅的に把握しておく必要があるはずですが、そういった規制を嫌がるネットカフェもあるはずで、水が低きに流れるように、悪も規制逃れのネットカフェに流れる可能性が高いでしょう。日々、新たなネットカフェが開業もしているはずで、網羅的な把握はかなり困難と推測されます。各種サービスの登録メールアドレスにおけるフリーメールの排除、ということが以前から言われながら、結局、実現できていないことと似た問題状況があります。
また、利用者の利便性が大幅に低下する、ということも見逃せないでしょう。警察や警察御用達の学者などは、「悪用」事例しか目に入っていませんが、ネットカフェを便利に使用し、悪用とは無縁な人々も多く(むしろ、そういった人々がほとんどでしょう)、上記のような措置が講じられれば、PCや携帯情報端末を持たずに外出した人が、オークションサービスを利用できなくなってしまいます。そういった不便さも、無視できないでしょう。
ネットカフェからの利用を排除しても、他の種々の手段による悪用が可能な現状では、導入には大きな疑問が残ります。
匿名性が完全に排除され、日本中に防犯カメラ、Nシステム、情報提供者等が網の目のように配置されて、警察が国民の行動を完全に監視下に置いた上、怪しいとにらんだ人や組織は、「共謀罪」等をフルに活用(実際は「悪用」ですが)して未然に検挙し(間違っていれば鹿児島県警等のように謝って終わりにする)、国民が息を潜めて暮らす、という、重くて暗く「寒い」社会は、音を立てることもなく確実に迫ってきているのかもしれません。

大型サイトの「匿名掲示板」がなくなる

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007011068878

今年7月からは、1日平均の訪問者数が10万人以上のインターネットサイトの掲示板に文や写真、動画などを掲載するためには、本人確認の手続きを取らなければならなくなる。
本人確認の手続きを取らないネチズンが文章を掲載した場合、該当サイトの運営者には3000万ウォン以下の罰金を課せられる。
情報通信部(情通部)は昨年末、国会で成立した「情報通信網の利用促進及び個人情報保護に関する法律」の改正案によって、このような内容の制限的なインターネット実名制を実施すると9日、明らかにした。

韓国での話ですが、「10万人」で切って区別する理由がよくわかりませんね。9万9999人が利用している掲示板でも、悪用されれば、当然、無視し得ない被害が発生するでしょう(だからこそ「制限的な」インターネット実名制ということになると思いますが)。
日本での議論に影響を及ぼす可能性もありそうです。