傘一筋、夫婦でこだわり全う 奈良の横田洋傘店が惜しまれつつ閉店

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180609-00000554-san-soci

横田洋傘店は明治時代、仁史さんの曾祖父が大阪・心斎橋で創業。先代の父、敬太郎さんは昭和初期に台湾へ渡り、「朝日洋傘店」の屋号で事業拡大に成功した。終戦を機に帰国した一家は橿原市にあった母の生家の離れを借り、家族で洋傘製造を再開。昭和23年に現在地に移転した。
台湾で生まれた仁史さんは昭和36年、千枝子さんと見合い結婚。和裁の心得があり、手先が器用だった千枝子さんも作業を支え、最盛期の昭和40〜50年代には週に最大130本もの傘を制作したという。

昭和の頃は、腕の良いクリーニング屋さんとか、そういう熟練した職人のような人々が社会のあちらこちらにいて、質の高いサービスを提供していた印象があります。そういう熟練の技が、徐々に、割りに合わなくなったり後継者がいなかったりして、消えていくのは残念であり悲しいことだと思います。それだけ、社会が持っていた強さ、質の高さのようなものが失われているということも言えるでしょう。
こういった人々が社会を支えていたことへの感謝の気持ちを、今後もずっと忘れずに持ち続け、記憶の中に留めておきたいと、改めて強く感じるものがありました。